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「1970年代の発掘2点」(許光俊)

Monday, June 26th 2006

連載 許光俊の言いたい放題 第81回

「1970年代の発掘2点」

 思いがけずテンシュテット指揮のショスタコーヴィチ交響曲第5番が登場する。  ケーゲルザンデルリンクなど、東ドイツの名指揮者の中にはショスタコーヴィチに格別の興味を示す人たちがいた。が、一般論的に言うなら、この作曲家は決してドイツ人の気性に合った作曲家ではないのかもしれない。おそらくドイツのクラシック・ファンの相当部分は、19世紀的なロマンティックな音楽こそ好むがゆえに、辛辣なショスタコーヴィチには抵抗感を覚えるのだろう。
 テンシュテットにしても決して熱心なショスタコ演奏家ではなかったが、第5番はレパートリーだったようだ。これは1970年代のミュンヘン・フィルとの演奏だというのが、第一に驚くのは音質の明快なこと。ただし、放送局流なので、細部がくっきりしている分、全体としての響きにはあまり関心が向けられていない。ライヴよりCDのような音響を好む人には歓迎されよう。最近発売されるテンシュテットの未知の演奏は、ライヴゆえのおもしろさでアピールするものが多かったが、放送のために録音されたというこれは異色である。この丁寧さと完成度の高さは、テンシュテットという指揮者の二面性を示している。
 後年の、危険な領域にやすやすと踏み込んでしまったような恐ろしさやグロテスクさは、まだそれほどない。が、ソロに究極の表現力を求めているのはありありで、オケはふうふう言っていたはずだ。そのせいか、テンシュテットのショスタコがこのオーケストラに呼ばれることは二度となかったという。
 この時代のミュンヘン・フィルというと、昔から聴いている人なら即座にケンペとの演奏を思い出すだろう。ドイツの楽団の例に漏れず、本来、このオーケストラは個々人のプレイヤーの名技を露出したがる性格を持っていなかった。というより、現在のベルリン・フィルが異常なのであって、ドレスデンだろうがハンブルクだろうが、ドイツのオーケストラは、常に各人が魅力的なソロを披露するより、全体性を重んじる。そのへんが、パリや英米楽団と異なるところだ。が、テンシュテットの音楽は、そうしたドイツの常識からはみ出ている。彼が結果的には英米のオーケストラでもっとも成功したのは、そのせいなのだと私は思う。
 ことに腰を落としてじっくりと進める第3楽章が聴きものだ。ちょっとドイツ音楽風というか、やさしげな抒情がにじみ出るあたり、好ましい。フィナーレも猪突猛進ではなく、最後は時間が止まるかのように堂々としている。このへんは、放送局流ではない録音方法で聴いてみたかったところだ。

 それにしても1970年代は、今振り返ると豪華な時代だった。カラヤンはまだピンピンしており、自分のスタイルを完成させていた。ベームも最後の元気を出していた。チェリビダッケはまだまだ激しい演奏をしており、これから最後の高みの上ろうとしていた。テンシュテットはようやく名前が知られはじめた。ショルティは元気いっぱいでシカゴとの黄金時代を築いていた。それ以外にもマルティノンやらマタチッチやら、聴くべき指揮者はいろいろいたのだ。私も、もう十年若かったならたくさん聴けただろうに。
 ベームとウィーン・フィルとのシューベルトは、この時代ならではの高水準を見せつける。あまりにきれいで立派なので、私はDVDにもかかわらず、目をつぶって聴いてしまった。2度目は、今度こそ目を開けようと思ったが、やっぱり目をつぶってしまった。それくらい、いい。ひらすらこれに浸っていたくなってしまうのである。
 どこがいいと言って・・・何もしていないみたいに無造作な演奏に聞こえる。が、何もかもがものすごくいいバランスになっているのだ。それが、無造作でいながらすごいというシューベルトの音楽の本質と見事に一致するのである。こういうタイプの演奏は、なかなかない。フランツ・コンヴィチュニー指揮ゲヴァントハウス管のブルックナー第5番がやはりそうだった。
 最初のホルンからして実に美しい。これだけで、これからすばらしい世界が始まることが予感できる。そのあとも、あまりにも自明のように淡々と鳴っている音楽をただじっくり噛みしめればそれでよい。いっしょに呼吸していればよい。大げさなことは何もない。
 強いてあげるなら第2楽章が絶品だ。フルトヴェングラーみたいにものすごくドラマティックということはないが、もちろん無表情でも鈍感でもない。何気ないようでいて、気づく人なら気づく陰影が施されている。このように演奏するときにウィーン・フィルは本当にすばらしい。ベームが指揮すると、このオーケストラは安っぽさがなくなる。当時、ベームとウィーン・フィルの演奏としてはシューベルトを第一に推すのが通の声だった。これを聴くと、完全にその意見に納得できる。
 音質はDGの傾向とは異なるが、ムジークフェラインで鳴るウィーン・フィルの極上の響きを伝えてくれる。
 シューベルトの第9番は演奏がきわめて難しい。かつて『クラシック名盤バトル』(洋泉社新書)で私は、この曲に関しては推薦したいCDがひとつもないと書いた。それくらい微妙な音楽なのだ。これでようやく推薦できる録音が見つかったことになる。

(きょみつとし 音楽評論家、慶応大学教授) 


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