第5回「帰らざるカルーソー」
Friday, September 2nd 2005
はんぶる・ドットこらむ 山崎浩太郎第5回
「帰らざるカルーソー」
CARUSO。
ナポリ生まれだから、イタリア風に読めば「カルーゾ」。しかし日本では一般に、英語風の「カルーソー」で通っている。
イタリア風に直せ、という人もいるけれど、わたしはカルーソーのままでよいと思う。なぜなら、かれは全盛期にほとんどイタリアで歌ったことはなく、その不滅の名声は、もっぱらニューヨークのメトロポリタン歌劇場で築かれたなのだから。
1902年春に行なわれたかれの最初のSP録音10曲が、ミラノで行なわれたことは有名である。イギリスのレコード会社G&Tのフレッド・ガイスバーグ(余談だがこの年の秋から東洋への録音旅行に出発、翌年に日本を訪問することになる)がカルーソーの起用を決めたのは、当時スカラ座で上演されていたフランケッティのオペラ《ジェルマニア》での歌に惚れこんだからだった。
こんな話を読むと、カルーソーはイタリア歌劇界の頂点、スカラ座にもひんぱんに出ていたのかと思う。ところが違うのだ。スカラ座への出演は二シーズンだけ、そしてこの《ジェルマニア》は、かれの生涯最後のスカラ座出演となるものだったのだ。
この年の秋に、ミラノのリリコ座で《アドリアナ・ルクヴルール》の世界初演に参加、さらに翌1903年2月にローマのコンスタンツィ座で《アイーダ》を歌ったのを最後に、かれはその後11年半もの間、イタリア国内では歌おうとしなかった。かれの豪華な邸宅はフィレンツェにあり、オフには帰国していたのに、けっして歌うことはなかったのだ。
かれは誰もが認める「テノールの王」であり、数えきれないほどのイタリア人テノールがかれのように歌おうと、懸命に真似していた。しかしかれらがカルーソーの声を聴く機会があるとすれば、それはレコードを通してでしかなかった。どうしてもというなら、ニューヨークのメトか、ロンドンのコヴェントガーデンか、あるいはかれが何度か訪れたドイツにまで、聴きに行くしかなかったのだ。
不思議な、奇妙な話である。
ギャラが原因なのか。かれはメトから、世界最高級の出演料を得ていた。同じ額を払える歌劇場は、イタリアにはもちろんなかったろう。しかし、同じくとてもアメリカ並みには払えないはずのドイツのハンブルク歌劇場などには、平気で出演しているのである。
金の問題ではない、何か母国の歌劇場と聴衆に不信感を、憎悪に近いほどの不信感を抱いていたのではとしか、わたしには思えない。
ミラノでの初録音の少し前、生地ナポリのサンカルロ座に初出演したかれは、「故郷に錦を飾る」どころか冷淡にむかえられて激怒、ナポリでは二度と歌うまいと心に決めたという。それがイタリア全土に及んでしまった理由はいったい何なのか、正直な話、よく判らない。
かれが自らこの禁を破ったのは1914年、戦争で失業した音楽家を支援する目的で行なわれた、ローマでの《道化師》特別公演にひと晩出演したときだった。翌年ミラノで行なわれた同趣旨の《道化師》でも、ふた晩歌った。そしてこの合計3回の《道化師》が、イタリアの人々がナマで全盛期のカルーソーを聴いた、唯一最後の機会となるのである。
マーストンの復刻で進行中の、ナクソス版のカルーソー全録音集。ここに聴けるかれの逞しく、だが贅肉のない、朗々たる歌声。なぜかイタリアを避けた、ナポリ人の声。
壮士去って、また帰らず。
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for Bronze / Gold / Platinum Stage.
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Enrico Caruso: Complete Recordings Vol.4
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Release Date:08/May/2001
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