Product Details
ISBN 10 : 4763021095
Content Description
旅先こそがレオナール・フジタ(藤田嗣治)のアトリエ。
パリを離れ、中南北米、中国大陸や東南アジア、ニューヨークへ。
フジタの旅路と色彩に焦点をあて、その画業と生涯をたどる画集。
土地の風景や人物、異国の歴史や風俗を求めて。
1920年代「乳白色の肌」を完成、パリ画壇の寵児となるフジタ。
その後パリを離れ、長い旅路のなかで、あらたなモティーフや群像表現のための構図、豊かな色彩による表現手法を開拓する。
その変遷が図版とテキストにより詳細にわかる内容となっている。
箱根ポーラ美術館で開催する展覧会公式カタログ兼書籍。
【目次】
「色彩への旅、そして儚き南方への夢」内呂博之
カタログ
第1章 パリとの出あい ―「素晴らしき乳白色」の誕生
第2章 中南米への旅―色彩との邂逅
「フジタ―国境なき芸術家」アン・ル・ディベルデル
第3章 アジアの旅行記―色彩による大画面の絵画
「フジタのまなざし―中南米の旅を中心に」佐々木佳苗
第4章 心の旅ゆき―色彩からの啓示
「フジタ―「色彩」と「質感」の旅」三木学
「フジタの壁画と「クロワジエール」」今井敬子
・Summary
・関連年表
・フジタ関連地図
・作品リスト
・主要参考文献
《著者情報》
藤田嗣治(フジタツグハル)
1886年、東京都新宿区新小川町の陸軍軍医の家に生まれる。1913年、渡仏。 パリのモンパルナスでピカソやヴァン・ドンゲン、モディリアーニらエコール・ド・パリの画家たちと交流。手製のなめらかなカンヴァスの上に、面相筆と墨で細い輪郭線を引き、繊細な陰影を施した裸婦像は、「乳白色の肌」と呼ばれ絶賛された。1919年にはサロン・ドートンヌ会員推挙。作品はパリで大人気となった。 1929年、凱旋帰国展のため16年ぶりに一時帰国。1933年以降は日本を活動の拠点とする。日中戦争がはじまると、祖国への貢献を願い大画面の戦争画の制作に没頭するが、戦後は画壇から戦争協力者として批判を浴び、その責任をとる形で日本を離れる。再びパリに暮らし始め、日本には戻らないと決めたフジタは、1955年にフランス国籍を取得。1959年、72歳の時にランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受け、レオナールという洗礼名を与えられます。最晩年には、ランスに感謝を示したいと礼拝堂「シャぺル・ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(通称シャペル・フジタ)」の建設を志し、完成から2年後に没した。
内呂博之(ウチロヒロユキ)
著・文・その他、監修
今井敬子(イマイケイコ)
著・文・その他
ポーラ美術館(ポーラビジュツカン)
監修
Customer Reviews
Book Meter Reviews
Recommend Items
Feedback
Missing or incorrect information?
Product information of this page .