
弓を使い分けたピリオド演奏
「シンティーラ(火花)」〜初期イタリア弦楽四重奏曲集
バター・クァルテット
18世紀にヨーロッパ各地で活動していたイタリア人音楽家たちによる弦楽四重奏曲を集めたアルバム。演奏のバター・クァルテットは2017年にハーグ音楽院在籍中の4人によって結成された古楽グループで、鮮烈で息の合ったピリオド奏法を聴かせます。ブックレット(英語)に掲載された解説は、ヴァイオリンのアナ・ジェーン・レスターを中心にクァルテットのメンバーが執筆。装丁はディジパック仕様で、デザインにアナ・ジェーン・レスターも参加。
ピリオド演奏の専門家集団
バター・クァルテットのメンバーは全員修士課程修了者で、歴史的奏法に関する学識なども非常に豊か。知られざる作品の紹介にも力を入れており、その際に用いる弓も、「クラシカル・ボウ」と「バロック・ボウ」を比較検討して決めるこだわりぶり。
初期イタリアの弦楽四重奏曲
ハイドン[1732-1809]とほぼ同時代にヨーロッパ各地で活動していたイタリア人音楽家、ジャルディーニ[1716-1796]、プニャーニ[1731-1798]、シルメン[1745-1818]は、ヴァイオリンの名手で、ボッケリーニ[1743-1805]はチェロの名手として有名でしたが、それぞれ作曲家としての楽才にも恵まれ、魅力的な弦楽四重奏曲を遺してもいます。
「通奏低音」の功罪
18世紀のヨーロッパは、啓蒙主義思想を背景に市民階級が台頭し、社会構造の変化が音楽産業にも大きく影響した時代です。それまで大小さまざまな合奏の伴奏和音を受け持っていた数字付き低音による「通奏低音」は、宮廷楽団や宮廷劇場、教会などの職業音楽家が主に受け持っていたこともあって、略式の記譜が一般的でしたが、そうした省略系の楽譜は市民社会の演奏家の多くが対応できなかったため受け入れられず、作曲家たちはすべての音を記譜する作曲方法への転換を進めることになります。
「弦楽四重奏」の誕生
衰退した「通奏低音」とは対象的に、市民社会での演奏需要の高まりや貴族楽団の小規模化とともに、すべての音が記譜された「弦楽四重奏」のための作品は演奏・出版される機会も増え、同様に、すべての音が記譜されたさまざまな室内楽形態も登場することになります。
啓蒙主義の火花とギャラント様式の輝き
今回のアルバムに収録されたイタリアの作曲家、ジャルディーニ、プニャーニ、ボッケリーニ、シルメンは、そうした時代の転換期に生き、ヴィルトゥオーゾ演奏家として多くの地域で活動する一方で、状況に適応した音楽も作曲。当時先端だった「弦楽四重奏」のための音楽も手がけることになり、ときにギャラント様式を思わせるようなアイデア豊富な作品を書き上げてもいます。
「シンティーラ(火花)」
アルバム・タイトルの「シンティーラ」は「火花」を意味するイタリア語で、ここでは弦楽四重奏が生み出されるきっかけとなった市民階級の台頭が、啓蒙主義思想によって促されたことを意味していると考えられます。
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作曲者情報
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プニャーニ [1731-1798]
ガエターノ・プニャーニは北イタリア、サルデーニャ王国のトリノに誕生。幼い頃からヴァイオリン演奏に秀で、10歳の時にトリノ王立劇場のオーケストラで演奏し、17歳の時には正式に入団。18歳で奨学金が給付されるとローマでヴィンチェンツォ・チャンピに対位法を学び、トリノに帰還後、1752年に宮廷楽団のコンサートマスターに就任しています。
やがてプニャーニはソリストとしての活動に力を入れるようになり、1754年には有名なパリの「コンセール・スピリチュエル」でみずからのヴァイオリン協奏曲を演奏。以後も、オランダ、ロンドン、ドイツなど各地を訪れる生活を送っていましたが、1770年にサルデーニャ国王によって帰国するよう命じられ、以後、28年間に渡ってトリノで宮廷音楽家として活動。演奏や指揮のほか、オペラから軍楽まで作曲し、教育にも携わり、時には弟子のヴィオッティとともにロシア長期ツアーに出かけるなどしていました。

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ボッケリーニ [1743-1805]
ルイージ・ボッケリーニは、北イタリア、トスカーナ大公国ルッカの音楽一家に生まれたイタリア人。イタリアやウィーンでチェロの腕を磨いた後、24歳で作曲家としてパリで成功、その後、26歳から62歳で亡くなるまで、つまり社会に出てからのほとんどの期間をスペインで過ごしたという事実上の「スペインの作曲家」でもありました。
13歳でチェリストとしてデビューしたボッケリーニは、「おそらく歴史上もっとも優れたチェリストであった」と鈴木秀美氏も称えるほどの無類の超絶技巧チェリストでもあったとされており、その作品には、古典派時代の音楽としては異例なほどチェロの魅力が詰まったものとなっています。
ボッケリーニは古典派音楽の中心であった独墺から遠く離れたスペインの宮廷で活躍していたこともあってか、その音楽は古典派的な様式感よりも、ボッケリーニならではの自由な感覚で貫かれているものが多く、優雅なロココの中に突然チェロの名技が盛り込まれたり、コミカルな音楽が出現したりと、曲によってはかなりのやりたい放題ぶりとなっています。しかもご当地スペインの舞曲やギターまで交えた作品も書いており、さらに絶品ともいえる旋律美で彩られた宗教音楽まで書いていました。

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シルメン [1745-1818]
マッダレーナ・ラウラ・ロンバルディーニは、ヴェネツィア共和国の没落貴族の家に生まれ、8歳でメンディカンティ慈善院に入ります。ヴェネツィアの孤児院は自活支援のため音楽教育に熱心で、マッダレーナもタルティーニとベルトーニに作曲を師事したほか、ヴァイオリン、チェロ、チェンバロ、そして歌唱を学んでいます。
1767年にはヴァイオリニストで作曲家のロドヴィコ・シルメン[1738-1812]と結婚して、マッダレーナ・ラウラ・シルメンとなり、翌1768年には夫婦でヨーロッパ・ツアーを実施して、トリノやパリの「コンセール・スピリチュエル」でも成功。
やがてオペラ歌手としても活躍するなど多彩な音楽家だったシルメンは、ちょうどハイドンとモーツァルトの中間の世代に属しており、1760年代に書かれたその弦楽四重奏曲はハイドンと並んで最初期の弦楽四重奏曲として位置づけられてもいます。多様な楽想が盛り込まれて心地良い作品です。

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ジャルディーニ [1716-1796]
フェリーチェ・ジャルディーニは、北イタリア、サヴォイア公国トリノに誕生。地元でヴァイオリンを学んだのち、ミラノ大聖堂の聖歌隊員となり、ジュゼッペ・パラディーニの指導のもと、歌、作曲、チェンバロを学んでいます。トリノに戻るとジョヴァンニ・バッティスタ・ソーミス[1686-1763]にヴァイオリンを師事。
この時点でまだ12歳だったジャルディーニはローマ歌劇場のオーケストラにヴァイオリニストとして入団し、その後ナポリのサンカルロ劇場のオーケストラでは副楽長の地位に就いていますが、やがてソロ・ヴァイオリン奏者としてのキャリアに専念することにし、ヨーロッパの主要宮廷でコンサートを行うためのツアーをおこなうようになります。
ベルリンで大成功を収めた後、フランスを経由して1751年にイギリスへ渡ったジャルディーニは大成功を収め、最初はヴァイオリンでしたが、やがてコンサート・シリーズやロンドンのイタリア・オペラ・シリーズなど多彩な興行で成功するようになり、30年以上に渡って同地で活動。
1784年、68歳でナポリに行き、1790年、74歳でイギリスに戻り、1792年、76歳でサンクトペテルブルクに行き、1796年、80歳でモスクワで死去しています。

演奏者情報
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バター・クァルテット
2017年にハーグ王立音楽院在学中の気の合う学生らによって結成された古弦弦楽四重奏団。
歴史的奏法を駆使した美しく力強い演奏によって評判となり、ポーランド国立音楽フォーラム(2020)、ヴュルツブルク・モーツァルト音楽祭(2021)、ユトレヒト古楽フェスティヴァル(2022)、ヨーク古楽フェスティヴァル(2023)、アムステルダム弦楽四重奏ビエンナーレ(2024)などでも演奏。
アナ・ジェーン・レスター(第1ヴァイオリン)
アメリカ生まれ。ヴァンダービルト大学でヴァイオリンを学び、ジュリアード音楽院でモニカ ハジェットとシンシア ロバーツに師事して歴史的演奏の音楽修士課程修了。ハーグ王立音楽院ではウォルター・S・ライターとカティ・デブレツェニに師事。古楽アンサンブル「オランダ・バロック」でも活動するほかイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、エイジ・オブ・エンライトゥメント管弦楽団など多くのピリオド団体と共演(画像の右端)。
クロエ・プレンダーガスト(第2ヴァイオリン)
アメリカ生まれ。コロラド・バロック室内管弦楽団のメンバーである母にヴァイオリンを習い、ウィラメット大学ではエンティア・クレストン(のちにアルテミス四重奏団に入団)に師事。その後、ワシントン州立大学の大学院で古楽を学んだほか、ターフェルムジーク・バロック管弦楽団ヴァイオリニストのジュリア・ウェドマンにバロック・ヴァイオリンを師事。彼女の勧めでハーグ王立音楽院でカティ・デブレツェニに師事して修士課程修了。古楽アンサンブル「オランダ・バロック」でも活動ほかイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、ルータース・バッハ・アンサンブルなど多くのピリオド団体と共演(画像の右から2人目)。
イザベル・フラネンベルフ(ヴィオラ)
オランダ生まれ。アムステルダム音楽院で山縣さゆりと佐藤俊介に歴史的ヴァイオリンを師事したのち、ユトレヒト大学で音楽学の修士課程を修了し、ハーグ王立音楽院でカティ・デブレツェニに歴史的ヴィオラを学んでいます。18世紀オーケストラ、「オランダ・バロック」などでも演奏(画像の左から2人目)。
エヴァン・バター(チェロ)
カナダ生まれ。オタワ大学でチェロとバロック・チェロを学び、2014年からハーグ王立音楽院でヤープ・テル・リンデンに師事して修士課程を修了。コンセール・ド・ナシオン、18世紀オーケストラ、ルータース・バッハ・アンサンブル、ムジカ・グロリアなどでも演奏(画像の左端)。

トラックリスト (収録作品と演奏者)
初期イタリア弦楽四重奏曲集
ガエターノ・プニャーニ [1731-1798]
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弦楽四重奏曲第2番 変ホ長調 19'08
1. I. ラルゴ・ソステヌート 3'50
2. II. アレグロ・アッサイ 8'28
3. III. グラーヴェ 2'15
4. IV. メヌエット - トリオ 4'35
ルイジ・ボッケリーニ [1743-1805]
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弦楽四重奏曲 ハ短調 Op.2-1 17'01
5. I. アレグロ・コモド 5'57
6. II. ラルゴ 5'51
7. III. アレグロ 5'13
マッダレーナ・ローラ・ロンバルディーニ・シルメン [1745-1818]
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弦楽四重奏曲第5番 ヘ長調 13'03
8. I. ラルゴ - アレグロ - ラルゴ 10'04
9. II. メヌエット 2'59
フェリーチェ・ジャルディーニ [1716-1796]
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弦楽四重奏曲ハ長調 11'43
10. I. アンダンテ 5'36
11. II. アダージョ 3'45
12. III. アンダンテ 2'22
バター・クァルテット
アナ・ジェーン・レスター(ヴァイオリン)
クローエ・プレンデルハスト(ヴァイオリン)
イザベル・フラネンベルフ(ヴィオラ)
エヴァン・バター(チェロ)
録音:2022年9月、オランダ、スヒーダム、ヴェストフェスト90教会
Track list
SCINTILLA
Early Italian String Quartets
Gaetano Pugnani 1731-1798
String Quartet No.2 in E-flat
1. I. Largo sostenuto 3'50
2. II. Allegro assai 8'28
3. III. Grave 2'15
4. IV. Minuetto-Trio 4'35
Luigi Boccherini 1743-1805
String Quartet Op.2 No.1 in C minor
5. I. Allegro comodo 5'57
6. II. Largo 5'51
7. III. Allegro 5'13
Maddalena Laura Lombardini Sirmen 1745-1818
String Quartet No.5 in F
8. I. Largo - Allegro - Largo 10'04
9. II. Minuetto 2'59
Felice Giardini 1716-1796
String Quartet Op.25 No.1 in C
10. I. Andante 5'36
11. II. Adagio 3'45
12. III. Andante 2'22
Butter Quartet
Anna Jane Lester violin
Chloe Prendergast violin
Isabel Franenberg viola
Evan Buttar cello
Total time: 61'08
Recording: September 2022, Westvest90 Kerk, Schiedam, The Netherlands