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私の百人一首

Masako Shirasu

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784101379098
ISBN 10 : 4101379092
Format
Books
Publisher
Release Date
January/2005
Japan

Content Description

ひさかたの光のどけき春の日にしずこころなく花の散るらむ―どこかで習い覚えた百人一首の歌。雅びな言葉の響きを味わい、古えの詠み人の心を辿ると、その想いが胸に届きます。一首一首の読みどころ、歌の背景、日本の和歌の歴史―白洲さんの案内で、愛蔵の元禄かるたの美しさを愛でつつ歌の心を知り、ものがたりを読み解くような面白さとほんものの風雅を楽しみましょう。

目次 : 天智天皇―秋の田の/ 持統天皇―春すぎて/ 柿本人丸―あし引の/ 山部赤人―田子の浦に/ 猿丸大夫―おく山に/ 中納言家持―かささぎの/ 安倍仲麿―天の原/ 喜撰法師―わが庵は/ 小野小町―花のいろは/ 蝉丸―これやこの〔ほか〕

【著者紹介】
白洲正子 : (1910‐1998)。東京・永田町生れ。薩摩隼人の海軍軍人、樺山資紀伯爵の孫娘。幼時より梅若宗家で能を習う。14歳で米国留学、’28(昭和3)年帰国。翌年、実業家の白洲次郎と結婚。’43年『お能』を処女出版。戦後、小林秀雄、青山二郎らを知り、大いに鍛えられて審美眼と文章をさらに修業。’62年『能面』で、また’72年には『かくれ里』で、ともに読売文学賞を受賞している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • syaori

    白州正子が百人一首を1番から順に鑑賞してゆく本。それは万葉の天智天皇から選者・定家が生きた順徳天皇までの、「万葉集」から「古今」「新古今」へと至る「和歌の歴史と変遷」を辿る旅で、素朴で雄大・悠揚とした万葉の美から、砂子を薄く刷いたような縹渺・幽玄な新古今の歌へという移り変わりを一望するよう。また歌人たちの逸話から、平安の貴族たちの風雅な文化や宮廷華やかなりしころの紫式部や清少納言など女房たちの活躍などのほか、徐々に歌の理論・技巧が整ってくるのも感じることができ、和歌の魅力を伝えてくれる一冊だと思います。

  • 佐々陽太朗(K.Tsubota)

    高校1年生の冬、百人一首ぐらいは諳んじておこうとしたものの数首で挫折してそのままになってしまっていた。意味も詠み人の人物像も時代背景もろくに知らず、ただただ丸暗記しようとしたのが間違いだった。四十数年ぶりにひととおり読んでみて、やはり楽しいのは恋の歌である。心浮き立つというのだろうか。しかし高校生のころとやや違っているのは、そのいくつかに見える「なまめかしさ」に感じ入るところだ。そしてその「なまめかしさ」は、その表現に抑えが効いているところが良い。度が過ぎては興ざめだ。歳を重ねると読み方も変わる。

  • まる

    確かに「私の」といった感じで著者の好き嫌いが表れているように思います。解説にもあるとおり一首につき同じ分量が書いてあるわけでないところからもよくわかります。私自身、あまり考えずに何となくで好きな歌というのがあったのですが、その好きな歌についての文が、それよりもこっちの歌の方が出来が良いように思う、というような内容だと少ししょんぼりしてしまいました。私に学がないからか、感性が合わないのか…(恐らく前者でしょう)百人一首の順番にも意図があったとは考えたことがなかったので、楽しかったです。

  • つねじろう

    阿刀田さんの本も面白かったが、男性目線だったので女性目線で見るとどうなるか興味が湧いたところで本屋さんで目に留まった。白洲正子さんは初読み、想像してたより折り目正しい語り口で読んでる方の背筋も自然と伸びて来た。歌人の人物像やその時代背景まで丁寧に解説してくれ新たな発見が沢山あった。六十の手習いと言いながら、ことたまを理解しないと歌の意味がなく、それには自分の学問が不足すると嘆く謙虚さが格好良い。一方で在原業平等の好い男の解説は長いと言う可愛いらしさも良い。

  • なお

    巻頭に著者蔵の元禄時代の百人一首かるたが並ぶ。歌仙百人の姿が描かれた札に金を蒔き、上の句が雅な文字で書かれて美しい。藤原定家の息子為家の妻の父、宇都宮頼綱が歌会を催す。嵯峨の邸の障子に歌を色紙にして飾りたいと定家に依頼し、百人一首が作られたという。小倉百人一首だけがなぜ多くの人に愛されてきたのか。万葉集から新勅撰集に至る和歌の歴史と変遷が伝わるだけではない。百人一首が天智天皇から始まり順徳院で終わる事に王朝文化の栄枯盛衰を見てしまう。誰よりも和歌の理想を追い求めた定家の強い思いが込められている様にも思う。

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