伊藤桂一さんの文体は簡潔で、そこはかとない悲しみや親しみや尊厳、哀しさを感じる美しい日本語で書かれています。
美しい泉水を感じさせる文体と比喩したいと思います。
兵隊のエッセイ 戦旅・断想 「 草 の 海 」です。
下高原千歳さんの挿絵も味わいがあります。
『戦場小説というのは、死生の間のできごとが材料になっているので、他のいかなるジャンルの作品も及ばないほど、内容はきびしくドラマチックである。
しかも戦争------というものについて、深刻に考えさせられる意味をも持っている。
戦場小説は、その性質上、戦中時代、ことに戦場生活の体験者に愛読熟読されるが、他世代の人たちも、戦場小説のもつ劇的な意味を理解すると、離れがたい牽引力を、その作品に覚えるようである。
内容が劇的であり、しかも空疎な作り物ではないのだから、当然、説得力もある』
『妻や恋人がいてもはるかに遠い存在だ。
おまけにそれに後ろ髪を引かれるものだから、つい心に隙ができて、人より先に弾丸に当たったりする。
死ぬまぎわに妻や恋人の名を呼び続ける兵隊を何人もみたが、きいているほうがつらい。
要するに自身が不毛不遇孤独の方がずっと楽だ、としみじみ思ったものである。
現世に執着を持たずに生きることの有利さ、について学んだのもこのときである、寂しいが、実に気楽なのだ(結局、この生の哲学が気に入って準棒したのだから、私も戦場で相当頭がイカれてしまったわけだろう)もっとも、虚心に戦場を生きたおかげで、私はかえって戦場の事象や風物を、冷静克明にみまもることができ、これがずっとのちに文学の仕事の上で、大いに役立ってくれることになったのである。
かりに、ひとりの女のことにでも拘泥していたら、ほかのことは眼に入らなかったかもしれない。
不遇というのは、ひとつのだいじな資産のようだ』
真実とは、何が幸いしているかわからないものです。
小宮山隆央