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イェルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告

Hannah Arendt

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784622020097
ISBN 10 : 4622020092
Format
Books
Publisher
Release Date
August/1994
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

アウシュヴィッツのナチ将校、アイヒマン裁判への透徹した観察。〈悪〉の陳腐さを衝いた問題作。
映画「ハンナ・アーレント」(マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)
2013年10月26日岩波ホールほか、全国順次ロードショー。
世界的スキャンダルを巻き起こした、ナチス戦犯アイヒマンの裁判レポート。
60年代初頭、悪とは何か、愛とは何かを問い続けた哲学者アーレント、感動の真実。


***


「この本は全体として思考の独立性のすばらしい証言です。……彼女が哲学的にも思想的にも徹底した、アウグスティヌスの愛の概念についての研究で正学位を得たとき、それもまだごく若く、たしか23歳だったと思いますが、教授資格を得るようにと人々は勧めました。それを彼女は拒絶した。彼女の本能は大学を拒んだ。彼女は自由でありたかったのだ。1933年に彼女は著述を一切放棄した。……彼女はユダヤ人の目的のための実践活動に入り、シオニスト協会に加入した。……戦争中彼女は評論を書きはじめました。大抵政治的なものです。戦後になって一作また一作と著書があらわれた。……彼女がそれによって生きる根本のものは、真理への意志、真の意味における人間的存在、幼年時代にまで見られる限りない誠実、そしてまた、逮捕(1933)と証券なしの国外移住のときに味わった極度の孤独の経験です。」ヤスパース、1965


ハンナ・アーレントは1906年生れのユダヤ人。ヤスパースのほかに、ブルトマン、ハイデッガー、フッサールについて学んだ。亡きシモーヌ・ヴェイユとならび、今日もっとも大きな知的影響力をもつ女性である。


【目次抄】
読者に
第1章 法廷
第2章 被告
第3章 ユダヤ人問題専門家
第4章 第一の解決――追放
第5章 第二の解決――強制収容
第6章 最終的解決――殺戮
第7章 ヴァンゼー会議、ポンテオ・ピラト
第8章 法を守る市民の義務
第9章 ライヒ――ドイツ、オーストリアおよび保護領――からの移送
第10章 西ヨーロッパ――フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、イタリア――からの移送
第11章 バルカン――ユーゴスラヴィア、ブルガリア、ギリシャ、ルーマニア――からの移送
第12章 中欧――ハンガリア、スロヴァキア――からの移送
第13章 東方の殺戮センサー
第14章 証拠と証人
第15章 判決、上告、処刑
エピローグ
あとがき


ハンナ・アーレント Hannah Arendt
1906年ドイツのハノーヴァーに生れる。
マールブルク大学でハイデッガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学んだ後、1928年ヤスパースのもとで「アウグスチヌスにおける愛の概念」のテーマで学位を得る。ナツィの政権掌握の1933年、ユダヤ人である彼女はパリヘ亡命し、著述を一切断念して実践活動に入り、シオニスト協会に加わる。1941年パリ陥落によりアメリカヘ亡命。プリンストン、シカゴ等の大学で講義し、ニュー・スクール・フォー・ソーシァル・リサーチの教授を勤める。1975年ニューヨークで没す。著書は『全体主義の起原』(全3巻、みすず書房、1972-74)『暗い時代の人々』(河出書房、1972)『暴力について』(みすず書房、1973、2000)『人間の条件』(中央公論社、1973)『革命について』(中央公論社、1975)『カント政治哲学の講義』(法政大学出版局、1987)『パーリアとしてのユダヤ人』(未來社、1989)『精神の生活』(全2巻、岩波書店、1994)『過去と未来の間』(みすず書房、1994)『ラーエル・ファルンハーゲン』(みすず書房、1999)『アウグスティヌスの愛の概念』(みすず書房、2002)が邦訳されている。


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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • (haro-n)

    アイヒマンの裁判には幾つかの問題点があり、アーレント自身は失敗だとしている。以下印象に残った点のみ。ニュールンベルク裁判の後15年近くたって開かれ、イスラエル国家を建設したユダヤ人側の思惑(アイヒマンにユダヤ人虐殺の全責任を負わせようとした)が反映された検事側の証言、弁護側の証言の少なさなどが挙げられていた。昔からあった反ユダヤ主義による差別やポグロムと違い、ナチスが行ったのは新しい罪=〈人道に対する罪〉だとしている。歴史的な確執・憎悪と全く無関係とは私には思えないのだが、勉強不足なので新訳で要再読。↓

  • Willie the Wildcat

    拘束手段と戦後制定の法律による裁判の妥当性は、やはり懐疑的と言わざるを得ない。ドイツ政府も身柄引き渡しを含めた”国民”保護の措置をとらず、最高裁判決2日後に死刑執行など、”勝者”裁判の誹りは拭えない感。確かに同情の余地がないでもないが、提示金・間引き・緩和など、人をモノと見なす言動に嫌悪感。興味深いのが「ハアヴァラ移送協定」。矛盾で成り立つ先入観に、決着をつけたかのようなアイヒマン裁判。真実は小説より奇なり・・・。1つ1つの事実を積み上げ、個々人の義に委ねるしかなかろう。

  • 傘緑

    「自分の罪は服従のためである…私は皆に言われているような冷酷非道の怪物ではありません…私は或る誤解の犠牲者なのです」クロムウェルに仕え、共和制を支持し、革命(と後の反動)を生きたミルトンが後に『失楽園』で描いた高貴なる悪ですらない。ひたすらに凡庸で、人間性の稀薄な、官僚的なホロコースト、お役所仕事のポグロム、書類の上のジェノサイド。「法の支配は暴力を、また万人の万人に対する闘いを排除するために考え出されたものであるにもかかわらず、それ自身の存在を維持するために常に暴力手段を必要とする…同様に一国の政府も」

  • 藤月はな(灯れ松明の火)

    私達は集団によって形作られている社会で生かされている。そしてその繋がりを完全に失うことは不可能である。また、人間は自由意志で行動できる生き物であるとされる。しかし、その力は弱く、権力や世論、状況に従うことが多い。なぜなら、従った方が自分の行動に責任を取らずに済むという安楽があるからだ。一番、印象的だったのはアイヒマン裁判での客観性を排除した様子でした。集団になると誰かを罰する時に私達が考え、刑を執行する時に背負う責任は分散されてしまう。故に集団を代弁した正義の執行は個人の魂を潰す暴力へと容易く、変じる。

  • 扉のこちら側

    初読。ナチの中心人物アイヒマンの戦後裁判の取材録。もっとも大きな知的影響力をもつ言われるアーレント女史著、昨今のノンフィクション物と比較もできない重厚さだった。「政治においては服従と支持は同じものなのだ」との一文の持つ重さ。

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