ミッシャ・エルマンがRCAに残した最後の録音を「Biddulph」がCD化!
"「エルマン・トーン」と呼ばれる独特の美音を活かした演奏スタイルで日本の聴衆も魅了したミッシャ・エルマンがRCAに残した最後の録音をBiddulphがCD化しました。エルマンは1891年にウクライナのユダヤ人居住区(ゲットー)でクレズマー音楽の演奏家の家に生まれました。4歳からヴァイオリンを始め、後にオデーサ(オデッサ)のアカデミーで学び、11歳の時にレオポルト・アウアーの前で演奏すると、その才能に驚嘆したアウアーはペテルブルク音楽院の自らのクラスに招きました。
アウアーは、エルマンが13歳の年にベルリン・デビューをお膳立てし、14歳の年にはグラズノフ:ヴァイオリン協奏曲のイギリス初演のソロを託します。エルマンは1906年、15歳でフランス・パテからレコード・デビュー。1908年にカーネギー・ホールでアメリカ・デビューをセンセーショナルに飾ると「RCA」に迎えられ、40年以上にわたり録音を続けました。「RCA」がハイフェッツを看板ヴァイオリニストに迎えると、エルマンは「Decca」や「Vanguard」に録音するようになったので、ここに収められたチャイコフスキーとヴィエニャフスキの小品集が「RCA」への最後の録音となりました。シーガーは1950年代から60年代まで共演したピアニスト。エルマンが好んで共演したため録音も多くあります。
ヴィエニャフスキのヴァイオリン協奏曲第2番は、エルマンが11歳でアウアーに引き合わされた時に演奏して感嘆させた曲で、その後も得意としていました。ロビン・フッド・デル管弦楽団の実体はフィラデルフィア管弦楽団で、同管が行っていた夏の音楽祭の名前を使っています。指揮のヒルズバーグはヴィエニャフスキと同じポーランド生まれで、エルマンと同じくアウアーにヴァイオリンを学び、フィラデルフィア管のコンサートマスターを19年間務めた後に指揮者となりました。
エルマンは1921年、37年、55年と3度にわたり来日。特に初来日時は欧米の一流の演奏家の来日が珍しかった時期で、大きな話題になったと伝えられています。当音源はモノラルの成熟期のセッション録音で、特にトラック1〜12はバランスがヴァイオリン寄りなこともあって、エルマンのヴィブラートのかけ方まで聴き取れそうな鮮明な音になっています。
※チャイコフスキーの曲の編曲者については「Biddulph」の情報に従っています。(輸入元情報)
【収録情報】
チャイコフスキー[1840-1893]:
● 無言歌 Op.2-3(F.クライスラー編)
● スケルツォ Op.42-2(F.クライスラー編)
● アンダンテ・カンタービレ(弦楽四重奏曲第1番ニ長調 Op.11より)
● 感傷的なワルツ Op.51-6(D.J.Grunes編)
● 弦楽セレナード Op.48〜ワルツ(L.アウアー編)
● ただ憧れを知る者だけが Op.6-6(M.エルマン編)
● 『白鳥の湖』〜ロシアの踊り(Lange編)
ヴィエニャフスキ[1835-1880]:
● レジェンデ Op.17
● マズルカ ニ長調『Dudziarz』 Op.19-2
● マズルカ ト短調『Chanson polonaise』 Op.12-2
● マズルカ イ短調『Kujawiak』 Op.3
● ポロネーズ・ブリランテ 第1番ニ長調 Op.4
ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)
ジョゼフ・シーガー(ピアノ)
録音時期:1952年9月23,25日、10月7,9,14日
録音場所:ニューヨーク、Victor Studio No.2
録音方式:モノラル(セッション)
初出:RCA Victor LM1740
● ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調 Op.22
ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)
ロビン・フッド・デル管弦楽団
アレクサンダー・ヒルズバーグ(指揮)
録音時期:1950年6月23日
録音場所:フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック
録音方式:モノラル(セッション)
初出:RCA Victor LM5
復刻プロデューサー:Eric Wen
復刻エンジニア:Dave Hermann
マスタリング:Rick Torres