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- [Japan Edition, CD] お雇い外国人の見た日本: 前田健治(P)
Item Details
Catalogue Number
:
KKCC3001
Number of Discs
:
1
Format
:
CD
Product Description
日本洋楽史の恩人たちの作品が今、日の目を見る!
お雇い外国人の見た日本〜日本洋楽事始
シーボルト:7つの日本のメロディ
ルルー:扶桑歌/日本および中国の歌(全3巻)/小娘
エッケルト: 東京の思い出
ディットリヒ:ニッポン・ガクフ(全17曲)【さくら/祭ばやし/権兵衛が種播く/婚姻の歌/琉球節/落梅/地搗歌/こいと言うたとて/どっこいしょ/せっせっせ/山寺/姫松/ちゃちゃらつばやし/花競/はうた/地搗歌第2番/お江戸日本橋】
ヴェルクマイスター: 私の日本の鞄から(全3巻)
前田健治(ピアノ)
【全曲世界初録音】
★日本のクラシック音楽作曲は瀧廉太郎の出現に始まるとされ、1897年作の歌曲がその第1号とされています。しかし、それ以前にも日本の地で生み出されていました。幕末から明治時代にかけて、西欧文化指導のため政府の依頼で来日した、いわゆる「お雇い外国人教師」。彼らが19世紀後半の日本で、日本の旋律や印象を盛り込んだピアノ曲を創っていました。日本の作曲家がそうした素材に注意を払う1930年代のはるか半世紀以上前に民族的作品が書かれていたのは興味深いことです。彼らはヨーロッパに生まれ、そこで教育を受けましたが、日本に住み、片言ながら日本語を話し、日本女性と結婚しているので小川典子BISで録音した「ジャポニズム」の作曲家たちのような想像上の日本とは異なります。
★@のフランツ・フォン・シーボルト (1796-1866) は幕末の日本に来て、近代西洋医学を伝えた日本史上の重要人物。彼は日本へピアノを持ち込んだ(わが国最初のものとされる)ほど音楽に造詣が深く、この地で聴き親しんだ旋律を採譜し、7曲の小品となりました。1836年にライデンにて初出版。日本の旋律を用いてはいますが、時代的にも初期ロマン派のため、民族的色彩は強くありません。
★Aのルドルフ・ディットリヒ (1861-1919) は1888年から1894年まで東京音楽学校教師を務め黎明期の日本の音楽家を育てたオーストリア人。俳優の根上淳の祖父でもあります。「ニッポン」は全16曲で、「さくらさくら」や「お江戸日本橋」など有名な日本古謡に基づき、凝った編曲の手法が興味深い。プッチーニが歌劇「蝶々夫人」を作曲する際に素材として使ったとされています。
★Bのフランツ・エッケルト (1852-1916) は「君が代」選定の際に中心的な役割を果たしたドイツ人。現行「君が代」の和声付けは彼によります。1879年に海軍軍楽隊教師として招かれ、1883年には音楽取調掛教師、87年には宮内省式部職、90年には陸軍戸山学校教師を務めるなど、日本の洋楽導入に貢献しました。「東京の思い出」 (1882)は典型的な軍楽マーチで、日本的な色彩は感じられません。
★Cのシャルル・ルルー (1851-1926) は陸軍軍楽隊を育てたフランス人。1884年から1889年まで日本に滞在し、鹿鳴館の指揮者も務めました。明治天皇に献呈された「扶桑歌」は後に「陸軍分裂行進曲」として太平洋戦争中は学徒出陣用に使われましたが、作曲者は日本人ではなく彼です。「扶桑歌」はブラス版の「陸軍分裂行進曲」に比べ、より繊細かつしゃれていてショパン風。さすがフランスの作曲家と思わせます。「小娘」は華麗なポルカですが、やはり「扶桑歌」のメロディが現れます「日本および中国の歌」には「春雨」や「お江戸日本橋」が使われていますが、ディットリヒとは感じが異なり興味深いです。
★Dのハインリヒ・ヴェルクマイスター (1883-1936)は1907年から歿するまで東京音楽学校でチェロと作曲を教え、山田耕作や信時潔などの師にあたるドイツ人。日本で最初にオーケストラを組織した人でもあります。「私の日本の鞄から」は全3曲から成りますが、日本的色彩はほとんどなく、むしろ東欧風。生涯の大半を日本で過ごしたのにヨーロッパ的感性から離れることができなかったようです。音楽的にはテンポが速く爽快。メロディが美しいのも魅力です。
演奏の前田健治は東京藝術大学ピアノ科3年生。繊細かつ独特の雰囲気を持った個性派で、「リパッティの再来」と称されている逸材。
お雇い外国人の見た日本〜日本洋楽事始
シーボルト:7つの日本のメロディ
ルルー:扶桑歌/日本および中国の歌(全3巻)/小娘
エッケルト: 東京の思い出
ディットリヒ:ニッポン・ガクフ(全17曲)【さくら/祭ばやし/権兵衛が種播く/婚姻の歌/琉球節/落梅/地搗歌/こいと言うたとて/どっこいしょ/せっせっせ/山寺/姫松/ちゃちゃらつばやし/花競/はうた/地搗歌第2番/お江戸日本橋】
ヴェルクマイスター: 私の日本の鞄から(全3巻)
前田健治(ピアノ)
【全曲世界初録音】
★日本のクラシック音楽作曲は瀧廉太郎の出現に始まるとされ、1897年作の歌曲がその第1号とされています。しかし、それ以前にも日本の地で生み出されていました。幕末から明治時代にかけて、西欧文化指導のため政府の依頼で来日した、いわゆる「お雇い外国人教師」。彼らが19世紀後半の日本で、日本の旋律や印象を盛り込んだピアノ曲を創っていました。日本の作曲家がそうした素材に注意を払う1930年代のはるか半世紀以上前に民族的作品が書かれていたのは興味深いことです。彼らはヨーロッパに生まれ、そこで教育を受けましたが、日本に住み、片言ながら日本語を話し、日本女性と結婚しているので小川典子BISで録音した「ジャポニズム」の作曲家たちのような想像上の日本とは異なります。
★@のフランツ・フォン・シーボルト (1796-1866) は幕末の日本に来て、近代西洋医学を伝えた日本史上の重要人物。彼は日本へピアノを持ち込んだ(わが国最初のものとされる)ほど音楽に造詣が深く、この地で聴き親しんだ旋律を採譜し、7曲の小品となりました。1836年にライデンにて初出版。日本の旋律を用いてはいますが、時代的にも初期ロマン派のため、民族的色彩は強くありません。
★Aのルドルフ・ディットリヒ (1861-1919) は1888年から1894年まで東京音楽学校教師を務め黎明期の日本の音楽家を育てたオーストリア人。俳優の根上淳の祖父でもあります。「ニッポン」は全16曲で、「さくらさくら」や「お江戸日本橋」など有名な日本古謡に基づき、凝った編曲の手法が興味深い。プッチーニが歌劇「蝶々夫人」を作曲する際に素材として使ったとされています。
★Bのフランツ・エッケルト (1852-1916) は「君が代」選定の際に中心的な役割を果たしたドイツ人。現行「君が代」の和声付けは彼によります。1879年に海軍軍楽隊教師として招かれ、1883年には音楽取調掛教師、87年には宮内省式部職、90年には陸軍戸山学校教師を務めるなど、日本の洋楽導入に貢献しました。「東京の思い出」 (1882)は典型的な軍楽マーチで、日本的な色彩は感じられません。
★Cのシャルル・ルルー (1851-1926) は陸軍軍楽隊を育てたフランス人。1884年から1889年まで日本に滞在し、鹿鳴館の指揮者も務めました。明治天皇に献呈された「扶桑歌」は後に「陸軍分裂行進曲」として太平洋戦争中は学徒出陣用に使われましたが、作曲者は日本人ではなく彼です。「扶桑歌」はブラス版の「陸軍分裂行進曲」に比べ、より繊細かつしゃれていてショパン風。さすがフランスの作曲家と思わせます。「小娘」は華麗なポルカですが、やはり「扶桑歌」のメロディが現れます「日本および中国の歌」には「春雨」や「お江戸日本橋」が使われていますが、ディットリヒとは感じが異なり興味深いです。
★Dのハインリヒ・ヴェルクマイスター (1883-1936)は1907年から歿するまで東京音楽学校でチェロと作曲を教え、山田耕作や信時潔などの師にあたるドイツ人。日本で最初にオーケストラを組織した人でもあります。「私の日本の鞄から」は全3曲から成りますが、日本的色彩はほとんどなく、むしろ東欧風。生涯の大半を日本で過ごしたのにヨーロッパ的感性から離れることができなかったようです。音楽的にはテンポが速く爽快。メロディが美しいのも魅力です。
演奏の前田健治は東京藝術大学ピアノ科3年生。繊細かつ独特の雰囲気を持った個性派で、「リパッティの再来」と称されている逸材。
Other Editions
Track List
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08. 扶桑歌
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09. 日本および中国の歌第1巻
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10. 日本および中国の歌第2巻
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11. 日本および中国の歌第3巻
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12. 日本および中国の歌小娘
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13. 東京の思い出
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14. ニッポン・ガクフさくら
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15. ニッポン・ガクフ祭ばやし
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16. ニッポン・ガクフ権兵衛が種播く
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17. ニッポン・ガクフ婚姻の歌
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18. ニッポン・ガクフ琉球節
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19. ニッポン・ガクフ落梅
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20. ニッポン・ガクフ地掲歌
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21. ニッポン・ガクフこいと言うたとて
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22. ニッポン・ガクフどっこいしょ
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23. ニッポン・ガクフせっせっせ
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24. ニッポン・ガクフ山寺
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25. ニッポン・ガクフ姫松
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27. ニッポン・ガクフ花鏡
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28. ニッポン・ガクフはうた
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29. ニッポン・ガクフ地掲歌第2番
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30. ニッポン・ガクフお江戸日本橋
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31. 私の日本の鞄からフモレスケT
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32. 私の日本の鞄からフモレスケU
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33. 私の日本の鞄からフモレスケV
Customer Reviews
タイトル通り、明治時代にわが国に洋楽を伝...
投稿日:2010/01/09 (土)
タイトル通り、明治時代にわが国に洋楽を伝えにきた音楽家達のアルバムで、名前こそ知られていながら一部をのぞいて作品を録音されない、演奏すらされない状態でしたのでこのアルバムの登場は彼らの活動を知る上で大変貴重な資料となるでしょう。ディットリヒとルルーの日本と中国の歌は民謡を編曲しているので典型的な日本風ですが、その他の作品はほぼ西洋音楽そのもの。扶桑歌は軍歌の一種と言っても良いのですが、こうしてピアノのみで聴くとサロン・ミュージックのように聴こえるのだから不思議。演奏は大変良い。

レインボー さん | 不明 | 不明
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