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ISBN 10 : 4864051607
Content Description
すべての映画は民俗の記録である。撮ること、観ること、考えること―。これらの営みの総体として、映画は形成されている。ロバート・フラハティからジャン・ルーシュへと連なる映像人類学をはじめ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、王兵、ツァイ・ミンリャン、エドワード・ヤンといったアジアの映画作家まで、人類学的フィールドワークと映画批評を横断し、映像のなかに個を超えた人類の歴史、習俗、営みを見出す。サントリー学芸賞受賞作『映像の境域』を発展させた批評の新地平。
目次 : プロローグ 光学の民族誌/ 1 光学的イメージの旅(民族誌家としてのアーティスト―マヤ・デレンとヴードゥー信仰/ ツァイ・ミンリャン、時間を描く画家/ アピチャッポンと東北の森/ 亜熱帯のコスモポリタン―エドワード・ヤン論/ 台南とシュルレアリスム―『日曜日の散歩者』)/ 2 民族誌映画のフィールド(神話を彫塑する―ロバート・フラハティ論/ エスノフィクションの方法―ジャン・ルーシュ論/ 久高島のコスモロジー/ むきだしの縄文―『海の産屋』と『廻り神楽』)/ 3 革命と戦争の世紀(革命の民族誌―ストローブ=ユイレ論/ 光の叙事詩―王兵の『鉄西区』と『死霊魂』/ リティ・パンと七つの外部記憶/ ポスト東欧革命の映像―チェコ、マケドニア、ボスニア/ ソーシャル・デザインとしての太陽花占拠)
【著者紹介】
金子遊 : 批評家、映像作家。多摩美術大学准教授、芸術人類学研究所所員。映像、文学、フォークロアを領域横断的に研究する。『映像の境域』(森話社、2017年)でサントリー学芸賞“芸術・文学部門”受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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