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北条時政 頼朝の妻の父、近日の珍物か ミネルヴァ日本評伝選

野口実

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784623094400
ISBN 10 : 4623094405
Format
Books
Publisher
Release Date
June/2022
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

北条時政(一一三八〜一二一五)鎌倉幕府初代執権。源頼朝の死後、二代将軍・頼家を廃し、実朝を擁立し実権を握る。さらに娘婿・平賀朝雅を将軍にしようとするも失敗、子の政子と義時に逐われ伊豆に隠棲したとされる。緻密な史料批判による実証作業を踏まえ、最新の「武士論」研究の成果に基づいて、時政の実像を捉え直す。

目次 : 序章 「北条時政」のイメージ(「小土豪から陰険な権力者へ」という俗説/ 先学の評価)/ 第1章 伊豆北条氏の成立(北条氏の出自/ 伊豆北条の空間/ 北条氏の系図を読む)/ 第2章 流人頼朝を囲繞した人たち(伊豆に流された頼朝/ 流人頼朝を支えた乳母とその関係者/ 流人と浪人/ 頼朝の挙兵)/ 第3章 時政の周辺(在京活動を担った時定/ 妻の家 牧(大岡)氏)/ 第4章 時政と京都権門(吉田経房と時政/ 平頼盛と時政/ 一条能保と時政/ 時政の武力/ 公家政権から見た時政)/ 第5章 内乱期・頼朝政権下の時政(伊豆から鎌倉、そして京へ/ 政権掌握への布石/ 建久四年曾我事件と時政)/ 第6章 頼朝死後の時政(梶原景時の排斥/ 比企能員の謀殺/ 鎌倉幕府初代の「執権」)/ 第7章 時政・牧の方の失脚(「継母の党」の時政/ 畠山重忠の討滅/ 政子・牧の方の役割/ 伊豆の時政)/ 終章 時政の遺したもの(時政の子どもたち/ 棺を蓋いて―穏やかな晩年)

【著者紹介】
野口実 : 1951年千葉市生まれ。1981年青山学院大学大学院文学研究科史学専攻博士課程修了(文学博士)。千葉県公立高校教諭、京都文化博物館主任学芸員、鹿児島経済大学社会学部教授、京都女子大学宗教・文化研究所教授などを経て、京都女子大学名誉教授、同大学宗教・文化研究所客員研究員、国際日本文化研究センター共同研究員(中世前期政治・社会史専攻)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • だまし売りNo

    時政の権力は源家家長である政子の支持あってのものであった。そこを理解していないことが牧氏事件で時政や牧の方が政子と義時に敗れた理由である。逆に自分の権力の限界を理解していたからこそ、源実朝を廃して娘婿の平賀朝雅を将軍にしようとしたと理解することもできる。

  • ほうすう

    北条時政の評伝。地方の小豪族のイメージが強い時政だが本書では時政の人的ネットワークが想像以上に京都に根強く張られていることが描かれている。また吾妻鏡における牧宗親の描写は息子である時親ではないかという指摘や引退後の時政も一定の政治力を持っていたのではないかという指摘は興味深かった。

  • MUNEKAZ

    北条時政の評伝。大河ドラマだと田舎の土建屋オヤジみたいな描かれ方だけど、実際はもっとスマートなインテリ武士なんですよという感じか。「北条」という流通の結節点に本拠を構え、京とのパイプもしっかり保持し、「源頼朝」という貴種を婿に迎える先見性も供えている。またそうした義政の活動を支えた右腕として、後妻・牧の方の存在感の大きさも印象的。若い妻の野心に振り回されたのではなく、二人が一身となって(そして政子と義時の協力もあって)、北条氏の覇権が確立されたということがよくわかる。時政のイメージが変わる。面白い一冊。

  • フランソワーズ

    北条義時の引き立て役のような形で後世に残ってしまった父時政。しかしその実像は...。吉田経房や平頼盛等との関係から時政が早くから京都権門と繋がりを持っていたこと、畠山重忠滅亡に関しては決して時政とその妻が主導したものとは言い切れないこと、失脚後のことなど、従来の時政像とは異なる姿が見えてくる。そして後妻牧の方についても、その実家牧(大岡)氏を含めて、さまざまなことが論述されており、そこから彼女の実像もまた違ったものに映ってきた。

  • かわかみ

    鎌倉幕府は開発領主たる東国の武士の支持によって生まれたと考えるのは自然なことだが、後に執権となった北条氏は開発領主というにはいささか毛色が変わった存在だったらしい。むしろ、伊豆という地にあって交通の要衝や流通の拠点を掌握し、京都にも人脈を広げていた情報通であったという。著者はそうした武家のあり方を京武者系の在地豪族と規定する。旧来の階級闘争史観では朝廷と鎌倉幕府とは断絶し対立すると考えたが、実は連携し補完する面も大きいらしい。武家の棟梁は公卿でもあり、政所は上級貴族の家政機関だということは初めて知った。

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