Product Details
ISBN 10 : 4873548055
Content Description
災害が多発する時代、防災業界は活況を呈しているようです。相次ぐ豪雨災害、土砂災害、地震災害。気象も極端化しています。科学者もコメンテーターも、大忙し‥‥。しかし、だからなのでしょうか。「言ったもん勝ち」、「やったもん勝ち」の混乱も見受けられます。「死ななければそれでよい」かのように、上から目線でサバイバビリティとモデル事業を押し付けてくる優等生たちの防災‥‥。弱い人を守ってあげると言いながら、自分は安全地帯の安楽椅子に身を隠して、弱い人の立場に寄り添うこともしないマッチョで筋肉質な防災‥‥。そうした勢力に巻き込まれないようにするためには、どうすればよいのか。ひとつの拠り所を探索するために、この小作、「いのちのメッセージ」を編みました。
真の災害情報学は、「インフォメーション(information)」の水準だけに固執したりせず、視野を広げ、想像の翼も広げ、「コミュニケーション(communication)」の水準から事態をまなざします。コミュニケーションとは、ラテン語に戻してみれば、「ともに(com)」、「贈り物(munus)」を届け合うこと。つまり、「共同体(コミュニティ)」をつくることです。災害情報を伝えてくれて「ありがとう」と思い為すこと。災害情報を生かしてくれて「とてもよかったわ」と喜び合えること。この論脈では、情報は贈り物なのです。そのように感得し合える「信頼の基盤」に根差した関係性をつくることが要請されるはずなのです。
しかし、現況の防災業界は、そうはなっていないように見えるのです。幅を利かせる“専門家”たち。しかし、その人たちは、“人生の専門家”でも“いのちの専門家”でもありません。自分の得意な分野から防災の断面に通じた、単なるマニアかもしれません。難しい情報を作出しては、市民が情報を活用できない場面をとらまえて、やれ、「バイアスに囚われている」とか「リテラシーが足りない」とか、一方的に論じています。果たして、その情報は、いのちの根本哲学に照らしたとき、妥当だと言えるのか。自分たちのふるまいこそが、社会の混乱の一端を担っているのではないか。しかし、そのような謙虚な自己反省の弁はほとんど聞こえてきません。
真の災害情報学は、いのちをまなざします。「いのち」とは、生きること、生活すること、人生を送ること、どの「LIFE」の次元も含み込んでいます。そしてさらに、生命の根本哲学にも根を下ろしています。皮相なサバイバルの話にばかり翻弄されてはいけません。防災は、そんなレベルに押し込められてはいけない、枢要な営みなのです。
「情報」の限界や制約、価値やポテンシャルを直視したうえで、人々の幸福に寄与するために‥‥。次の千年紀に向けた学知の挑戦をぜひ目撃してください。
Customer Reviews
Recommend Items
Feedback
Missing or incorrect information?
Product information of this page .
