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最後の冒険家

石川直樹

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784087467420
ISBN 10 : 4087467422
Format
Books
Publisher
Release Date
September/2011
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

熱気球の滞空時間と飛行距離で世界記録を樹立、ヒマラヤ8000m峰越えも達成した日本人がいた。その名は神田道夫。2008年に自作の熱気球で太平洋単独横断に挑み、海上で消息を絶った。命がけの空中散歩に魅せられ、あえて難しい挑戦ばかり選び続けた姿勢。かつて一緒に飛んだパートナーである著者が、不屈の精神で駆け抜けた稀有な冒険家の軌跡を追う。第6回開高健ノンフィクション賞受賞作。

目次 : 第1章 出会い/ 第2章 気球とはなにか/ 第3章 富士山からエベレストへ/ 第4章 滞空時間世界記録とナンガパルバット越え/ 第5章 熱気球太平洋横断/ 第6章 単独行/ 第7章 ひとつの冒険の終わりに/ 第8章 悪石島漂着

【著者紹介】
石川直樹 : 1977年東京都生まれ。高校時代にインド・ネパールを一人旅して以来、世界中を旅するようになる。2000年、地球縦断プロジェクト「Pole to Pole」に参加して北極点から南極点を人力踏破。2001年にはチョモランマに登頂し、当時の世界七大陸最高峰登頂の最年少記録を塗り替えた。2011年、10年ぶりに再登頂。『CORONA』で第30回土門拳賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • やすらぎ

    飛べるところまで行く。…地上は点になり最後は見えなくなった。ぼくは今、空の真っ只中にいる。見えない風を感じる。空には幾重にも分かれた風の流れがある。風に乗る。風に流される。…人間は山を越え、川を下り海を渡り、はるか昔から水平方向への移動を続けてきた。18世紀末に気球という乗り物を手に入れるまでは。人類の足は地面から離れ、垂直に地上を俯瞰する新視点を獲得した。人類進化の一つだったといえるだろう。…一度やると決めたらやめたことのない、絶対にやり抜く神田道夫氏。太平洋横断。最後の冒険への旅立ちまでの記録である。

  • goro@the_booby

    初めて石川直樹読みましたが良いですね〜。神田道夫氏の熱気球冒険も知りませんでしたが、こんな人が居たんですね。神田・石川コンビで飛行した太平洋横断での死を覚悟した場面から始まるシーンから引き込まれ、ラストは胸が締め付けられるようなノンフィクションでした。他の作品も読みたくなった。角幡唯介76年生まれ、石川直樹77年生まれかぁ〜対談とかないかな〜。

  • マリリン

    想像すらした事のない世界だった。石川さんが綴る静かな中に熱い気持ちと生と死の狭間を彷徨うかのような世界に好奇心が疼く。冒険家神田道夫さんとの出会いから行動を共にした日々。チャレンジの記録は色々な意見があったとおもうものの、特に最後のチャレンジは動物的勘がそうさせたのだろうかと思えた。別の道を歩んだものの仲間としてかっての盟友として書き記録として残したかったのと、書いた事で自分の心と対話し、交錯する心の気流の中で着地点を探し求め...。そんな気がした。

  • 金城 雅大(きんじょう まさひろ)

    読みやすい淡々とした文章ながら、気球飛行や挑戦してきた場所の情景、気球に乗って上空から見た視点や感覚の描写などがストレートに伝わってきた。 「地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験している生きることそのもの」「世の中の多くの人が、自分の中から湧き上がる何かを抑えて、したたかに、そして死んだように生きざるを得ない中で、冒険家は、生きるべくして死ぬ道を選ぶ」という著者の分析は一考に値する。 神田さんの奥さんの「気球に乗る夫=夢、残された私=現実」という対比がとても印象的だった。

  • hatayan

    熱気球でより遠くへ飛ぶことに自身を捧げてきた冒険家・神田道夫氏。集大成として太平洋横断に挑戦するも、筆者と行動を共にした一度目は失敗して貨物船により救助。成功のために安全性を犠牲にして4年後に単独で再挑戦、外洋で消息を絶ちました。 「絶対に成功するとわかっていたらそれは冒険ではない。でも成功する確信がなければ出発しない」 普段は町役場の給食センターの所長を務めながら、気球に乗っているときに生きている実感を得ることのできた神田道夫氏は、より良く生きるために死ぬ道を自ら選ぶ、稀代の冒険家でもあったのです。

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