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他者の喪失から感受へ 近代の教育装置を超えて

田中智志

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784326298730
ISBN 10 : 4326298731
Format
Books
Publisher
Release Date
October/2002
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

教師は今、何を手がかりに子どもの成長にかかわる営みを考えればよいのか。生の悲劇性、他者の個体性、関係の冗長性、悲劇の感覚、驚異の感覚という教育変革のための重要な概念を取り上げ、教育論議に一石を投じる。

【著者紹介】
田中智志 : 1958年山口県光市に生まれる。1990年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程教育学専攻単位取得退学。現在、東京学芸大学教育学部教育学科助教授。教育社会学・教育思想史専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • 有智 麻耶

    全面的な機能的分化の展開は、一方では近代の教育装置を解体させ、他方では子どもの他者性を喪失させてきた。このような状況において、教師は権威を喪失してしまう。しかし、それだからこそ、これまで自明の理のごときものとされてきた教授による教育から、社会的コミュニケーションによる学びへと転換する可能性が生じるという。ときに教育評論っぽさが顔を覗かせるのは、前近代の対面的共同体をどこか理想的に実体化してしまっているからだろう。いま読み返すと、この頃から田中智志だったのだと思わされる。

  • 有智 麻耶

    4年前に読んで以来、「他者」という概念に引き込まれ、卒論「他者」概念をテーマにして書いた。今、読み返してみると、5章を除いて、田中氏が「他者」をどのレベルの概念として扱っているのかがよくわからなかった(実在概念・集合概念・方法概念)。また、ポップ感覚と浮遊感覚は、物語消費とデータベース消費という消費のあり方にそれぞれ対応していると考えられるが、それだと田中氏の時代区分とややズレる。政治哲学から「他者」概念にアプローチするためのヒントは得られないが、根底で支えてくれている研究である。

  • hayaok

    ルーマンの概念などを借用し、位階性が消滅し機能主義への移行がさらに進む中で教師の権威が落ちるのは必然であるから、そこで子どもを思うように教育する操作主義の放棄が必要だと説明する。来るべき社会の像として機能主義一辺倒ではなく、各人が他者の個体性と関係の冗長性、人生の悲劇性を認めていることという条件を提示し、そのために生の偶有的・刹那的な共在という了解―それは、従来の存在神学を超えたハイデガー的な存在論―と、それを喚起するような「驚異の感覚」を与える教育を提案する。

  • 有智 麻耶

    ポストモダンにおける教育改革や、社会の変容、近代批判の哲学を読んでから読み返すと、視界が開けた。それと同時に、いくつかの疑問も。ハイデガーの哲学に他者がいないというレヴィナスの批判に対し「気遣い」の概念で対抗しているが「気遣い」は他者を他人としても可能ではないのか。また、ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論の他者が同化の対象であるという主張も、何か定まった規則があり、それに従うことがコミュニケーションを成り立たせる、というような、旧来の、言語ゲームのダイナミズムを無視した発想に基づいているように見える。

  • 有智 麻耶

    再読。有用性に支配された社会では関係の冗長性が消え、他者の存在を感受することができなくなる。しかし、子どもを他者から他人に還元することは、コロニアリズム的である(丸山)、と内容を整理。また、言語ゲームで教育学的な他者を捉えることが別の支配体系を生み出すから、ハイデガー的な偶有的・刹那的な存在論を前提にするべき、という内容を新たに汲み取った。ルーマンやデュルケムを読まなくては。

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