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増補 文明史のなかの明治憲法 この国のかたちと西洋体験 ちくま学芸文庫

瀧井一博

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784480511744
ISBN 10 : 4480511741
Format
Books
Publisher
Release Date
March/2023
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

日本人は、西洋から何をいかに学んで明治立憲体制をつくったのだろうか。憲法制定のルーツを明治初めの岩倉使節団にまで遡り、不平等条約改正に向けた諸国調査を原点としていた明治国家形成の動きが、やがて「徹頭徹尾日本的」な立憲君主制への道に転じていく過程を、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山県有朋らの西洋体験を通して描き出していく。日本型立憲国家誕生のドラマとしてのみならず、西洋文明受容をめぐる思想史としても高く評価された角川財団学芸賞・大佛次郎論壇賞ダブル受賞作に、大久保利通論、伊藤博文論を増補した待望の完全版。

目次 : 序章 西洋体験としての明治憲法成立史/ 第1章 岩倉使節団の憲法体験―万国公法から憲法へ(旅立ち/ 珍道中/ 視察の情景/ 岩倉使節団の国制論)/ 第2章 伊藤博文の滞欧憲法調査―憲法から国制へ(伊藤の再渡欧―明治一四年の政変/ ベルリンの憂鬱―議会制度への暗雲/ 起死回生のウィーン―国制への開眼/ その後の調査)/ 第3章 山県有朋の欧米巡遊―もうひとつの「憲法」調査(明治憲法が成立したとき/ 山県有朋の欧州視察/ もうひとつの「憲法」調査)/ 終章 外から見た明治憲法(国際的に認知された明治憲法/ 明治憲法の求心力と遠心力―伊藤と山県)/ 補章(1) 大久保利道と立憲君主制への道(大久保の天皇観/ 立憲君主に向けて/ 君主としての可視化)/ 補章(2) 日本憲法史における伊藤博文の遺産(日本の憲法文化?―大日本帝国憲法と日本国憲法をつなぐもの/ 伊藤の憲法観―「一片の紙切れ」/ 明治憲法の成立―伊藤の国家デザイン/ 進化する「憲法」―国民による政治へ/ 伊藤博文の遺産)

【著者紹介】
瀧井一博 : 1967年生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得退学。博士(法学)。専門は法制史(国制史、比較法史)。国際日本文化研究センター教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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  • うえぽん

    法制史家による諸国調査を中心とした明治憲法成立史。明治4-6年の岩倉使節団、同15-16年の伊藤博文滞欧憲法調査、同21-22年の山縣有朋欧州視察と、外から見た明治憲法にて構成。成立当初、西洋の識者も好意的に評価し、民権運動家も歓迎したことを言及。文庫版には、大久保、伊藤の憲法観を掘り下げた論考も収録。社会科学諸学を総合した国家学体系を築こうとしたウィーン大シュタイン教授の薫陶を受けた伊藤は、憲法を相対化する国制の視座を持ち、漸進主義で議会を徐々に機能させる事に腐心。現憲法との連続性の分析が興味深い。

  • nagoyan

    優。講談社メチエ版を読んだのがもう20年近く前のこと。二編の補章を加えた増補版がちくま学芸文庫から出た。当時、日本が模範としたというドイツでさえ憲法政治はよちよち歩きだった。維新動乱間もない日本に憲法や議会をどのように導入するかは、それこそ国家の命運にかかる重大問題だったにちがいない。そうした中、伊藤という人物を得たことは日本にとって幸運だったと思わせる。著者は、伊藤のプログラム(国制)は日本社会の歴史や現状に整合的でありつつも、立憲主義の普遍性にコミットしていたと、鮮やかに明治憲法の「復権」を果たした。

  • さとうしん

    岩倉使節団の西洋体験から憲法制定、諸外国による憲法の評価、そして補章による立憲政治まで。しかし「憲法は国民精神を代表すべきである」という当時のドイツで支持されていたらしい発想によるならば、民間で数多編纂された私擬憲法を無視する形で制定された明治憲法は、制定の過程で大きな問題があったと言えるのではないだろうか?あるいは補章で仄めかされているがごとく、明治憲法は日本国憲法のように民間の私擬憲法を取り込んだものだったのだろうか?

  • 馬咲

    明治日本の立憲体制が西洋の模倣を越えた独自性に至った経緯を、政府要人達の西洋体験から明らかにしている。特に伊藤博文が、シュタイン国家学の受容と独墺の混乱した議会政治の観察を経て、憲法を国制の構成要素の一つとして相対化する開けたconstitutionの視座を獲得した意義は大きい。伊藤は国民の政治参加が近代国家の力の源と見て、その漸進的実現のために天皇や行政の役割を考えたが、山県有朋はそこに西洋の病理を見て、行政内派閥網や教育勅語による国民の教化で立憲体制の各構成要素の分断と肥大化を企図したというところか。

  • フクロウ

    立憲政体制定に際して大隈重信率いる英系急進派と岩倉具視及びその腹心・井上毅に挟撃される、木戸孝允・大久保利通の「漸進」立憲=議会主義者・伊藤博文の微妙な立ち位置。グナイストよりもオーストリアはウィーンのシュタインからの影響が大きく、権力分立と天皇を仲裁者≒representと見る知見を獲得しつつも議会への否定的知見は採用せず、一貫して議会制導入を目指す伊藤の脳裏には、近代国際政治は力の政治であり、その力は国民一人一人の活力ある政治参加から生まれるとする価値観があった。議会は国民参政と統合に不可欠だった。

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