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秀吉没後の豊臣と徳川 京都・東山大仏の変遷からたどる

河内将芳

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784473045300
ISBN 10 : 4473045307
Format
Books
Publisher
Release Date
February/2023
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

江戸時代は京都・伏見からはじまった。秀吉の死から、関ヶ原合戦、大坂の陣へといたる「慶長」という時代の20年間を、京都の公家や僧侶の日記などの同時代史料から再検討。

目次 : 第1章 「関東と京都の御弓箭」としての関ヶ原合戦(秀吉没後/ 京都からみた関ヶ原合戦)/ 第2章 豊国臨時祭と大仏(失われゆく大仏/ 豊国臨時祭)/ 第3章 「関東と京都の御弓箭」続編としての大坂の陣(失われた大仏をもとめて/ 京都からみた大坂の陣)

【著者紹介】
河内将芳 : 1963年、大阪府生まれ。奈良大学文学部史学科教授。京都府立大学文学部文学科を卒業後、甲南高等学校・中学校教諭。その間に京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了、京都大学博士(人間・環境学)取得。京都造形芸術大学芸術学部歴史遺産学科准教授を経て、現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • ほうすう

    秀吉の死から大阪の陣まで、慶長年間の京都の動きを公家や僧侶の日記から読み解いたもの。大阪の陣のきっかけとなった鐘銘事件についての記述が印象的。家康の諱を割ったことよりも入っていることそのものを問題視していたこと、棟札の件も同様に問題視していたことなど、大阪の陣の原因が巷間言われるほど単純なものではないことは分かったのだが、ではなんで急速に戦争へと発展していったのかちょっとよく分からなかった。豊臣方が何を考えていたのか史料が気になるところ。

  • 浅香山三郎

    秀吉の死、関ヶ原の戦い、そして大坂の陣まで、豊臣・徳川両権力が共存する京都の様相を示し、慶長年間を概観する。様々な記録を駆使し、京都の大仏や伏見の城、豊国社と豊国祭などのモニュメントとページェントを軸に、京都といふ都市や朝廷・公家衆、住民らの人心掌握につとめるふたつの権力の姿勢を照射してゆくさまは、著者の真骨頂といふ感がある。「関東と京都の御弓箭」といふほど、秀頼に近いと見られた京都の位置が、容易に戦国が終はらない世の中のありやうを象徴するやうに思へた。

  • 田中峰和

    慶長の約20年は秀吉の死から家康が政権を確立するための激動の期間だった。「義演准后日記」からの抜粋を中心に、関ケ原の戦いから、大坂夏の陣まで詳しく解説される。秀頼は幼すぎて、彼の立場を守り家康政権の確立を阻止するのが、豊臣家臣たちの行動原理だった。秀吉を神格化するために、東山に大仏を建立することが豊臣家の念願であった。家康にとっても、それに反対し敵対しては豊臣恩顧の武将たちに反旗を翻されかねない。鐘に刻まれた国家安康に難癖をつけたのが、大坂の陣の原因ではない。それは物語を面白くしようとしているだけだ。

  • Abercrombie

    『過ぎ去ろうとしない「戦国」という過去。慶長年間はまだ、その呪縛から逃れることはできなかった。』 見返しの台詞がカッコいいね。東山大仏再建の変遷を中心に、高僧・公家の日記からみる、秀吉死後の豊臣と徳川の20年間。伝聞ゆえの誤りもあるが、予想以上に情報の伝わり方が速いな。家康が必ずしも豊臣家を滅ぼしたいと思っていないと、当時の人々が感じ取っていたことにも驚く。でも、秀吉の葬式に黄金2枚奉納ってけち臭くない? 毛利輝元、中村一氏、細川忠興は5枚だぞ。

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