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坂口安吾と中上健次

柄谷行人

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784061984523
ISBN 10 : 4061984527
Format
Books
Publisher
Release Date
September/2006
Japan

Content Description

日本の怠惰な知性の伝統の中で、「事件」として登場した坂口安吾と中上健次。二人は近代文学の根源へ遡行しつつ、「自然主義」と「物語」の止揚を目指す。安吾は、自らを突き放すような他者性に文学の「ふるさと」を見出し、中上は、構造に還元することなく、歴史の現在性としての「路地」と格闘する。闘う知性としての安吾と中上を論じた74年から95年までの批評を集成した、伊藤整文学賞受賞作。

目次 : 1 坂口安吾をめぐって(『日本文化私観』論/ 安吾、理性の狂気/ 安吾はわれわれの「ふるさと」である ほか)/ 2 中上健次をめぐって(「十九歳の地図」書評/ 中上健次論抄/ 中上健次への手紙 ほか)/ 3 安吾と中上をめぐって―関井光男との対話(安吾の可能性/ 闘争する知性と文学)

【著者紹介】
柄谷行人 : 1941・8・6〜。文芸批評家。兵庫県生まれ。1965年、東京大学経済学部卒業。67年、同大学大学院英文学修士課程修了。68年、「三田文学」を通して中上健次と知り合う。69年、「“意識”と“自然”―漱石試論」で群像新人文学賞を受賞。75年から77年、80年から81年、83年から84年と、イエール大学、コロンビア大学の研究員を務める。また、批評誌「季刊思潮」「批評空間」を創刊。主な著書に『マルクスその可能性の中心』(亀井勝一郎賞)等(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • ころこ

    純文学の定義が批評との関係においてなされるのであれば、中上と柄谷の関係は最良で最大のものなのではないか。逆説的で意地悪な言い方にはなるが、中上の小説は柄谷の評価なしにはここまで評価されなかったし、死後これだけ読まれることもなかっただろう。作家が死後も読み継がれる条件は、誰かが言及することだからだ。中上の小説は柄谷の批評を受けて、はじめて完成する。柄谷の批評も、後期の政治的な贈与論よりも文学の方が複雑なコンテクストが織り込まれるから、前期の文学を読まなければ、中期の復活を経て、後期も本当のところ分からない。

  • Happy Like a Honeybee

    作家にとって作品とは書くのみではなく、作品とまた生きることだ(坂口安吾) 中上健次にとって最大の理解者であった柄谷氏の書評。 安吾と中上を中心に大江健三郎氏や漱石について言及する内容。 自分たちの筆では食べていけない、日本文芸協会の態度は自己欺瞞。

  • OjohmbonX

    柄谷行人による中上健次への追悼に感動してるからって、感傷に堕しているなんて言われたくない。小説家やその作品として語ってきたのと同じやり方で、その括弧を突然捨て去って、人間としてどういう関係を周囲や世界に、何よりこの自分に与えて存在していたかを語るという、態度の一貫性と唯一許した特別さに感動してるんだ。この人が「『天才』という言葉を、私は中上健次にだけは使いたい。」と言う時、どういう意味で使い得るのかを明らかにした上で使う一貫した態度と、この言葉を唯一中上にだけは使うことを自分に許した特別さのことだよ。

  • e.s.

    中上健次の小説を読むのは難しい。それは、何も難解だから、というのではなく、読解が数多くの記号的クリシェで覆われてしまうからだ。中上の小説をクリシェの集合へと解消してしまうのは、80-90年代文化(バブル的消費!)の端的な表れとも言える。柄谷が言うように、中上自身もそうしたクリシェの生産に加担していた。それに対し、我々は、中上の小説の只中で、秋幸のように「違う」と言い続けるしかない。

  • akuragitatata

    一番最後のAASについての感想、いま読むといろいろおもうところがある。

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