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ISBN 10 : 4781617026
Content Description
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」──史上最強と呼ばれた柔道家・木村政彦みずから実技する幻の教則本が完全復刊。現在、世界の格闘技界で“キムラロック”と敬意をもって称される腕緘、必殺の大外刈など、 木村政彦の「投技」「寝技」「固技」「連絡変化」すべてを完全収録。木村政彦自身による序文、さらに木村マニアの格闘家で日本ブラジリアン柔術審判部長・植松直哉による特別解説も追加掲載。これが“鬼の柔道”だ。
目次
木村政彦 柔道の技・目次
◆木村政彦、語る
柔道の沿革
記憶に残る試合
柔道が強くなるためには
◆投技編
第1章 手技
第2章 腰技
第3章 足技
◆寝技編
第1章 抑込技
第2章 関節技
第3章 絞技
◆特別収録
木村政彦の柔道の技とは
増田俊也/植松直哉
著者について
木村政彦(きむら・まさひこ)
1917年9月10日熊本県出身。全日本選手権13年連続保持、天覧試合優勝も含め、15年間不敗のまま引退。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えらる最強の柔道家。10歳で古流柔術の竹内三統流柔術道場に通い、四段まで大日本武徳会から受ける。旧制鎮西中学4年で講道館四段を取得。1935年、牛島辰熊主宰の「牛島塾」入門。1936年、高専柔道大会で大将として拓大予科を全国優勝に導く。1937年から日本選士権三連覇。1940年天覧武道大会優勝。1942年に兵役へ。終戦後、1949年全日本選手権優勝。1950年、牛島が旗揚げした国際柔道協会(プロ柔道)に参加後、プロレスラーに転身。1951年、エリオ・グレイシーに腕緘で一本勝ち。1954年、力道山と日本プロレス選手権を争う。1959年、ブラジルでのバーリトゥードを経て、1961年、柔道界復帰。拓殖大学柔道部監督に就任し、岩釣兼生らを育て、1966年、全日本学生柔道優勝大会で拓大を優勝に導いた。1993年4月18日、永眠。逝去後、UFCなど世界の格闘技で木村に敬意を表し、エリオを極めた腕緘が“キムラロック”と評される。
【著者紹介】
木村政彦 : 1917年9月10日、熊本県出身。10歳で古流柔術の竹内三統流柔術道場に通い、四段まで大日本武徳会から受ける。旧制鎮西中学4年で講道館四段を取得。1935年、牛島辰熊主宰の「牛島塾」入門。1936年、高専柔道大会で大将として拓大予科を全国優勝に導く。1937年から日本選士権三連覇。1940年天覧武道大会優勝。1942年に兵役へ。終戦後、1949年全日本選手権優勝。全日本選手権13年連続保持。1950年、牛島が旗揚げした国際柔道協会に参加。1951年、エリオ・グレイシーに勝利。世界各地でバーリトゥードも戦う。1961年、拓殖大学柔道部監督に就任し岩釣兼生らを育て、1966年、全日本学生柔道優勝大会で拓大を優勝に導く。1993年4月18日、永眠(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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