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西太后に侍して 紫禁城の二年間 講談社学術文庫

徳齢

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784065308165
ISBN 10 : 406530816X
Format
Books
Publisher
Release Date
February/2023
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

清朝末期の最高権力者・西太后に仕えた女性の迫真の手記。百五十品もの豪華な食事と、自ら演出した芝居に時を費やす贅沢な日常。西洋文化を嫌いながらも、写真機やロシアから来た曲馬団に大興奮。著者に心を許し、戊戌政変や、自ら「生涯唯一の誤り」という義和団の乱の内幕を語る。陰険な宦官、不遇の皇帝・光緒帝の描写も生々しい。

目次 : 序の巻/ 宮中にて/ 宮中の芝居/ 西太后との午餐/ 西太后の覲見/ 西太后に侍して/ 宮廷の事ども/ 宮眷たち/ 光緒皇帝/ 皇后様/ 私どもの服装/ 西太后とコンガー夫人/ 西太后の画像/ 光緒皇帝の万寿節/ 中秋節/ 万寿山の離宮/ 召見の間/ 新年の行事/ 海の離宮/ 結びの巻

【著者紹介】
徳齢 : 1881年、中国・武昌生まれ。父・裕庚は駐日公使、駐仏公使を歴任。幼少から父の任地を転々とし、1903年パリから帰国後に西太后に女官兼通訳として仕える。1905年、父の死後に宮廷を辞し1911年に初の著作である本書Two Years in the Forbidden Cityを上海で出版。日中戦争中は米国で中国支援活動を行う。1944年、交通事故により死去

太田七郎 : 1906年、茨城県生まれ。早稲田大学英文科卒業後、冨山房を経て外務省に奉じ、北京駐在。中国劇を研究する。詩人で早稲田大学教授の日夏耿之介に師事。日夏は「博覧強記、小説劇作の東西に渉るものを好んで読み、最も英語に長じ、漢文も巧み」と評した。蔵書家で、ロンドン、オクスフォードの古書肆より購入したコレクションは早大教授たちも及ばなかったという。1943年に死去

田中克己 : 1911年、大阪府生まれ。東京帝国大学東洋史学科卒。詩人、東洋史学者。保田与重郎らと『コギト』創刊。堀辰雄の推挙で詩誌『四季』同人。1941年、詩文集『楊貴妃とクレオパトラ』で北村透谷記念文学賞。1945年応召、河北省で終戦。戦後は東洋大学を経て、成城大学教授。1992年に死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • まーくん

    1903年、著者徳齢は駐仏公使の任務を終えた父の帰任に従いパリから北京に戻る。程なく西太后に呼び出され北京西郊の離宮頤和園へ。フランスで教育を受けた帰国子女という当時の清国では稀有の存在。洋装で召見に現れた彼女が中国語を話し、中国の礼儀をよく心得ていた上、英仏語に堪能なことにいたく感激。それから二年、父の死で辞するまで女官として西太后に仕えることに。本人が書いていて客観的ではないが、よく気が利く才女なところを西太后に大層気に入られ、他の女官の嫉妬かったという。訳者によると盛ってる部分もあると言うから…。⇒

  • さつき

    1903年から2年ほど西太后に仕えた徳齢の手記。著者は駐仏公使だった父に付いてフランスで教育を受けた当時の中国では珍しい帰国子女。後年、アメリカ人と結婚しプリンセス・デーリンとして社交界で活躍したらしい。内容の全てを鵜呑みにはできないが、女性らしい細やかさで描く衣装や髪型、アクセサリー、部屋の装飾などはその豪華さにうっとりします。離宮の広さ、さまざまな典礼、それにまつわるしきたりの煩雑さは想像を絶するスケールだし、怒りにしろ喜びにしろ西太后の感情の発露、そのエネルギーに驚かされます。

  • k sato

    清国女官・徳齢の巧みな戦略的虚実本!帰国子女・徳齢は、父親が清朝と縁があり、西太后の通訳・話し相手として出仕した。女官として勤めた2年間の回想録である。西太后は徳齢を寵愛した。結婚相手を決めると宣言。余計なお世話だ。徳齢を取り巻く嫉妬と羨望。宮中の食事は贅沢なのではなく、国家と国民の安寧と繁栄を祈るための神饌だった。300年続く伝統なのだ。西太后が激怒しやすいのは本当だと思う。にしても記憶ってこんなに鮮明に残るだろうか?徳齢は事実を装飾したに違いない!西太后の寵児だったなら、生き抜く計算高さはあっただろう

  • ピオリーヌ

    講談社学術文庫2023年の刊。原著は英文にて1911年、邦訳は1942年。著者は外交官であった父と共に日本、フランスと渡り、帰国後の1903年から約二年間、西太后の手元で過ごした。西太后が退屈しないよう雑談の相手になり、海外事情を伝え、通訳をつとめた。著者は「話を盛る」人物であり、その話の全てを鵜呑みにするのは危険ではあるが、西太后の内面がふんだんに描かれるその内容は大変魅力的である。西太后の食事の際は、他は誰であっても立って食事をすることになっていながら、外国の来客がある際は野蛮人に思われぬよう皆を

  • さとうしん

    宮廷で女官のような立場で二年間暮らした際の自伝ということだが、近代化を迫られる旧弊な王朝という要素はあるものの、基本的には清末の宮廷を舞台とした中国版『枕草子』のようなものとして読むことができる。西太后はもっと若ければ中宮定子のようだったかもしれないし、聡明な光緒帝は母后に掣肘される平安時代の天皇のようにも見える。西太后に仕える女官や宦官の振る舞いも、日本の宮廷の女官などと似通った所がありそうである。中国人特有ということではなく、そういった普遍性に思いを致しながら読むのも一興だろう。

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