昭和30年代の北海道は、道路整備もままならず、冬季の移動手段と言えば、ほとんど鉄道のみであり、しかも開拓の名のもとに、実質的な先遣隊が、各地に入殖を行っているような状況で、天候によっては運行もままならず、少なくとも冬季に首都圏の人が旅行に行くようなところではなかった。その一方で、この時代の北海道は「蒸気機関車の王国」とも呼ばれていた。この当時の鉄道事情についても本書内で言及があるが、1956年(昭和31年)に最新鋭気動車であるキハ44800形が準急「日光」の運行を開始。東海道線は全線電化され、1957年には仙山線、北陸線といった地方にも電化は波及、ついに1958年には東京―九州を結ぶ夜行寝台特急「あさかぜ」に電車が登場する。そのような時代変化が急速に進む中にあって、北海道の鉄道たちに残された時間の少なさを、広田氏は肌で感じ取ったのだろう。前述の通り、当時の北海道は首都圏の人によって遠隔の地だ。気安く行ける場所ではとてもない。本書の後半に、「鉄道ファン」名誉編集長である宮田寛之氏が、これらの路線の注目すべき車両と背景、広田氏の経歴等について、詳細に解説を寄稿してくれていて、それ自体がとても参考になるのだけれど、そこにこのような一説がある。「現代の日本人が認識する地球上のどの国よりも、当時の人たちにとって北海道は、はるかに遠い所だったのです」。しかも、北海道の各鉄道は開拓や運炭のため、山深い奥地や、開拓の前線に張り巡らされている。それらを巡るのは、様々に厳しい条件があったであろう。しかし当時24歳だった気鋭の鉄道写真家広田尚敬(1935-)氏は「今行かねば」、という思いで、1959年の冬に北海道へ向かったに違いない。厳冬期の北海道にける滞在旅行は1か月に及んでいる。そこで記録された数々の貴重な蒸気機関車と、鉄道施設周辺の写真たちは、当然のことながらすべて白黒。しかし、それゆえのリアリティと質感がともなって、訴える力の強い写真ばかり。全184ページに及ぶあまりにも貴重な記録だ。写真が掲載されている路線を挙げよう。(カッコ内に参考までの国鉄等接続駅を書く) 1) 寿都鉄道(黒松内) 2) 国鉄胆振線 3) 日本製鋼所室蘭工場(東室蘭、御崎) / 栗林商会(本輪西) 4) 北海道砂鉄伊達工場(長和) 5) 三菱鉱業大夕張鉄道(清水沢) 6) 北海道炭礦汽船平和鉱業所真谷地専用鉄道(沼ノ沢) 7) 北海道炭礦汽船角田鉱業所専用鉄道(夕張鉄道 新二岐) 8) 夕張鉄道(野幌、栗山、鹿ノ谷) 9) 北海道炭礦汽船幌内鉱業所美流渡専用鉄道(美流渡) 10) 三菱鉱業美唄鉄道(美唄) 11) 三菱鉱業美唄鉱業所茶志内専用鉄道(奈井江) 12) 三井鉱山砂川鉱業所奈井江専用鉄道(茶志内) 13) 雄別炭礦茂尻鉱業所専用鉄道(茂尻) 14) 三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道(上芦別) 15) 芦別森林鉄道(上芦別) 16) 三菱鉱業油谷鉱業専用線(三菱鉱業芦別鉱業所専用鉄道 油谷) 17) 日本甜菜製糖十勝清水工場専用鉄道(十勝清水) 18) 北海道拓殖鉄道(新得) 19) 根室拓殖鉄道(接続なし) 20) 明治鉱業庶路鉱業所専用鉄道(西庶路) 21) 雄別鉄道(釧路) / 釧路埠頭(新富士) 22) 釧路臨港鉄道(東釧路) 23) 日本甜菜製糖磯分内工場専用鉄道(磯分内) 24) 置戸森林鉄道(置戸) 25) 運輸工業専用線(桑園) 26) 北日本製紙江別工場専用線(江別) 27) 定山渓鉄道(東札幌) 28) 茅沼炭化工業専用鉄道(岩内) 29) 簡易軌道風蓮線(厚床) これらの鉄道線は、現在までにすべて廃止となっている。北海道が蒸気機関車の王国と呼ばれた所以は、運炭鉄道、森林鉄道、殖民軌道といった様々な鉄道に、古典的な蒸気機関車が運用されていたためである。全国的に、昭和30年代にはほとんどの個性的な蒸気機関車が廃車になり、規格型汎用機に置き換わっていく中で、北海道ではまだ彼らが活躍していたのだ。特にコッペルやボールドウィン、さらにはノース・ブリティッシュ製の古典蒸気機関車が、各地で入替等を中心に実働していたのである。しかし、これらを撮影をするといっても、簡単なことではない。まず当時は情報収集手段が限られている。時刻表に記載されるような系統的な運転になっていないものがほとんど。広田氏が参考にしたのも現地のファンから入ってくる情報だ。これに基づいて、前もって広田氏は、主だった事業所に手紙を送り、来訪の旨を告げている。その甲斐あって、彼は様々に貴重な巡り会いを繰り広げる。根室では、積雪で運行できなくなった銀竜号を、事業者の協力で機関庫から出すだけでなく、写真のために呼びかけで集まった周囲の人が乗車し、「自然な写真撮影」に協力してくれた。十勝清水では、かつて磯分内にあって、その由来が取りざたされたライケンハンマー(Lunkenheimer)がシートで覆われているのに遭遇。青年の熱意が通じてシートが外され、無事撮影に成功する。置戸森林鉄道では、訪問2か月前に廃車となった木曽と同じ1921年ボールドウィン製B1形リアータンク3号機が庫内に保管されていたものに出会う。そのような過程や、現地でもらったメモ、受け取った手紙なども引用があってとても楽しい。一つ言えるのは、当時の寒冷地での生活というのは、現代とは比べ物にならないくらい厳しいものだったと思うのに、広田氏のファインダーから伝わる人々の表情が、とても輝いているということである。現地の人たちも24歳の若者の訪問を、喜んでいたと思うし、厳しいながらも、希望を見出して生活していたのだろう。そういった強さや暖かさが伝わってくる。蒸気機関車と似ている。肝心の写真ももちろん素晴らしい。貴重な蒸気機関車およそ90機が収められている。美唄や真谷地ではE形タンク機4110形、夕張鉄道では11形1Dテンダー機、北海道拓殖鉄道では国鉄8620形と同形の8622号機、寿都鉄道ではボールドウィン1897製1C形テンダー機8100形など、数々の名品を見事に撮影している。胆振線では現地の人の案内でキマロキ編成への添乗と撮影にも成功。とにかくすべてが貴重過ぎて、書ききれない思い溢れる写真集だ。その他、古くは蒸気機関車ファンのだれもが憧れていた磯分内や奈井江の由緒ある機関車たち、夕張鉄道の角田炭鉱を走っていた電車、カメラを構えていると次々と列車が通ったという活気あふれる釧路臨港鉄道など、私の「当時の風景が見られたらどんなにいいだろう」という思いを叶えてくれたものばかり。本当に当時の広田氏の熱意に感謝の思いでいっぱいになる写真集でした。