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ダダ・シュルレアリスムの時代 ちくま学芸文庫

塚原史

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784480087850
ISBN 10 : 4480087850
Format
Books
Publisher
Release Date
September/2003
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:
塚原史 ,  

Content Description

人間存在の意味とその営為を根本的に変化させてしまった二十世紀。その時代とともにあったダダ、シュルレアリスム運動は、既成の芸術運動をはるかにこえ、時代の“意識”を最前線にたって変革していく思想運動だった。トリスタン・ツァラ、アンドレ・ブルトン、ジョルジュ・バタイユら、時代を体現した前衛芸術家たちの活動を通して、現代の思想とアートの一大パースペクティヴのなかで捉えなおされる、衝撃的な二十世紀思想・文化史としての、ダダ・シュルレアリスム論。

目次 : 1 トリスタン・ツァラをめぐって(チューリッヒからパリへ/ 言語破壊装置としてのダダ/ スペクタクルとしてのダダ/ 拒否と持続の言語/ ツァラを葬った日/ ツァラとシュルレアリスム)/ 2 シュルレアリスムのほうへ(アンドレ・ブルトンとエクリチュール・オートマティック/ シュルレアリスムの政治的体験/ シュルレアリスムと全体主義的言語/ ジョルジュ・バタイユの眼球/ レーモン・ルーセルの世界)/ 意味の外へ―ひとつの透視図として

【著者紹介】
塚原史 : 1949年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、京都大学大学院仏文科修士課程修了。パリ第三大学博士課程中退。現在、早稲田大学法学部教授。前衛芸術から全体主義をへて消費社会へといたる20世紀文化の展開に鋭い視線をむけている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • コットン

    ダダを主導したトリスタン・ツァラを主眼としてダダとシュールレアリズムを見ているのでシュールレアリズムを再勉強しようとした私には不向きだった。ただダダが単に破壊の芸術と考えていたが特にツァラ的ダダは『否定/肯定という対立は意味を持たない。そうした二項対立そのものを無効化しようとした』と知った。

  • 阿部義彦

    直近の古本市で購入。ちくま学芸文庫を読むのは久方ぶりかも。若い頃マルセル・デュシャンに嵌ったのでその関係からダダ・シュルレアリスムは大好きでしたが。その最初の宣言者、シュルレアリスムはアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』でしたが、ダダの方の宣言者、ルーマニア国席でフランスで活躍した詩人 トリスタン・ツァラの名前はこれまで知りませんでした。『ダダ宣言1918』ですか、初めて知りました。そしてシュルレアリスム関係では文学方面ではレーモン・ルーセルをかなり大きくとりあげてます。

  • 猫路(ねころ)

    言語の反逆、ツァラは言葉に意味をなさない。導かれない思考と言うのがDADAなんだと。ダダ・シュルレアリスムに共通するのは書く主体がないことである。闇の中の言葉なんだと。

  • 千恵蔵

    「何も意味しない」と自ら宣して出現したダダイズム。そこからシュルレアリスムが派生し華々しく歩み出すと、最早そこには「意味」があり、交換価値のある主義、社会(特に政治)のためにこそ積極的に加担する道を辿った。「意味の外」への戯れがダダの骨頂だったのに、シュルレアリストたちは意味と意義を追究し、汲々としていった。規定された前衛ほど面白くないものはない。芸術とは時代の鏡であるはずなのに、自ら時代として正しさや有用性を求めると途端に陳腐になる。ダダの元祖ツァラは最後まで意味付けや位置付けを拒み、ダダで飯を食った。

  • カイロス時間

    20世紀初頭に芽吹いた前衛芸術ダダとその中心人物トリスタン・ツァラを巡る書。一見すると不可解な前衛運動にクリアな視界を与えてくれる見通しのよい論考だった。ダダ=ツァラの根幹にあったのは脱理性という反近代の精神であり、それはシュルレアリストたちにも共有されていた。その界隈にはいたものの直接的なメンバーではなかったバタイユにおいても、別の仕方ではあれその特徴が現れていた。反近代を志向する意思の、この派閥を越えた拡がりがことのほか印象深く、それが時代のトータルな精神として沸き立っていた状況がよく想像された。

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