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ISBN 10 : 4910845089
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人間魚雷「回天」は、「大東亜戦争」末期に開発された海軍の特攻兵器でした。兵士一人が九三式酸素魚雷に搭乗し、敵艦に突っ込むのです。
「回天」の開発拠点は、当初は大型の特殊潜航艇「甲標的」の開発が行われていた大浦崎基地(P基地・広島県呉市音戸町)に置かれていました。その意味で「回天」は「甲標的」の発展形とみることもできます。とはいえ、「甲標的」が乗員の生還を前提としていたのに対して、「回天」は死を前提としており、訓練に臨む兵士の心構えにも大きな隔たりがありました。
このため「回天」に関する開発と訓練は、九三式酸素魚雷の発射実験場があった山口県周南市(旧・徳山市)の大津島に移され、昭和19(1944)年9月に「大津島突撃隊」が結成されました。空の「神風特別攻撃隊」に対して、彼らは、海の「神潮特別攻撃隊」と呼ばれました。
詩人・高村光太郎は、雑誌『週刊少国民』(昭和20年4月号・『高村光太郎全詩稿』所収)に発表した詩「神潮特別攻撃隊」で、〈小さいその潜航艇と わづかな隊員との必死必中で 敵の幾萬噸の軍艦を轟沈するんだ〉と、当時の躍動感を書いています(本書の裏表紙の裏に原稿掲載)。
さて、大津島の回天訓練基地はすぐに手狭となり、11月に光市の海軍工廠内に「光回天基地」が新設されます。つづいて昭和20(1945)年3月に平生町の阿多田半島に「平生突撃隊」の訓練基地が開設されました。
こうして山口県内に、3ヶ所の回天訓練基地がそろいました。そして4つ目が4月に開隊した大分県日出町の「大神突撃隊基地」となります。
戦争が長引けばさらに増設される予定でしたが、8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下され、日本は無条件降伏に追い込まれます。
それとともに回天作戦も終わりを迎えました。
「回天」が存在したのは僅かな期間でした。
しかし戦後になっても人々の心を掴み、賛否両論の議論の中で強烈な印象を刻印し続けました。
本書では上記4つの回天訓練基地を軸にしつつ、広島県呉や大浦崎、長崎稔川棚などの取材を行い、埋もれた資料を掘り起こして紹介します。
とはいえ、文献資料ではっきりしなかったのは、「回天」が誰の発案で始まり、誰の命令で実行されたのかということでした。
海軍には「兵士の死を前提にした兵器はつくらない」という伝統があったにもかかわらず、軍の規律や方針さえ超えて「回天」が生まれた不思議さもありました。
時代の「空気」に翻弄され、命を散らした多くの若者たち‥‥。
静かに散った彼らの尊き命に、追悼を捧げる巡礼の旅が、本書を手にすることではじまることを願います。
(本書で紹介する元回天隊員で哲学者になった上山春平氏が、日本が戦ったのは「大東亜戦争」とし、米国側の呼称「太平洋戦争」を生涯使わなかったことで、本書も「大東亜戦争」表記を基準とした)
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