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北海道産業遺跡の旅 栄華の残景

堀淳一

User Review :5.0
(1)

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784893638021
ISBN 10 : 4893638025
Format
Books
Publisher
Release Date
November/1995
Japan

Customer Reviews

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北海道の歴史は長くはない。もちろん、昔か...

投稿日:2021/04/16 (金)

北海道の歴史は長くはない。もちろん、昔からそこに居住し、生活してきた人はいた。しかし、少なくとも開拓使が置かれ、開拓と産業育成が誘導されるようになったのは、道南の函館・江差周辺を除けば、わずかここ150年程度のことでしかない。しかし、この短い歴史の中で、北海道の産業は大きな盛衰を辿る。中心的に開発されたのは、エネルギーと食糧であった。前者では国内最大の石狩炭田を中心とした石炭の他、様々な鉱物資源、木材等の森林資源、後者では漁業と畑作、そして品種改良を行いながらの稲作、そして広大な土地を利用した酪農が展開した。しかし、時代は急激に変化する。エネルギーの主力が石炭から石油へと変化し、さらに海外から安価な鉱物資源、森林資源が供給されるようになる。食料も同様で、漁業に関しては、最大の資源であったニシンの魚群が去るとともに、農業・酪農はともに、近代化・大規模化した海外の供給源との競争に直面し、衰退を余儀なくされた。つまり、わずか150年の歴史でありながら、北海道で行われた様々な経済活動や関連する投資、施設の建設は、その後、つまり1970年以降の経済に寄与することのないものが大半であったため、複合的な不良債権を抱え込む形で、否応なく経済活動が衰退することとなった。この40年ほどの間で、かつての国内の産業振興に大きく寄与した数々の巨大施設は、山野に埋もれ、解体され、元の自然に飲み込まれつつある。私が、北海道で生まれた時は、すでにこの転轍点の後であった。産業遺産などという言葉で彩られることもなく、強靭な力で、今まで作られてきたものが、なし崩しになっていく様を見た。炭鉱が閉山し、ニシン漁が終焉を迎えた。総延長900kmを越えた森林軌道、総延長700kmを越えた開拓のための殖民軌道、物資の輸送を支えた私鉄線はすべて廃止され、国鉄線も(生活の用に十分に供されているものまで含めて)1,500km相当が廃止となった。私が生まれ育ったころ周りにあったものは、急速に歴史の表舞台から去り、静かにいなくなった。だから、今の北海道に暮らしていると、何かのおりに不思議なものを目にする時がある。山奥の廃道のような道を辿ると、その先に驚くような廃墟が眠っている。森の奥に不思議な築堤や橋脚が残っている。山に登ると、人為的な工作物や坑道の入り口が見える。そういったものに、「産業遺産」という名前が付き、何かしら歴史的な情緒をかもしだすようになったのは、比較的最近のことだと思う。北海道の産業遺産は、その性格上、人里を離れたものが多く、各所に散らばっている。そして、貴重なものであっても、それを保存する経済基盤がない。だから、仮に人里や道路に近いところにあった場合、今度は取り壊されてしまう。例えば、美唄市にあった巨大な滝の里発電所跡など、一時はその貴重さが鑑み、維持されていたが、ついに安全性の問題から、最近になって取り壊されてしまった。本書は、北海道大学で物理学の教授を務めながら、1960年代から全国の旧道、廃線跡、産業遺産など巡っている堀淳一(1926-)氏による、「北海道 産業遺跡の旅―栄華の残景」と題した産業遺産訪問の記録。 1997年刊行で、197ページ。堀氏は、はやくから、これらの産業遺産の魅力と、時と共に失われる儚さに注目し、訪ね歩いていたのだ。項目を書こう。 1 鉱山  1) 下川鉱山跡 1993年10月  2) イトムカ鉱山跡 1994年7月  3) 恵庭鉱山跡 1992年10月  4) 石狩油田の残址を訪ねて 1987年7月  5) 羽幌炭鉱上羽幌鉱跡 1994年7月  6) アトサヌプリ 1994年9月  7) 鴻の舞金山跡 1990年9月,1993年6月  8) 中外鉱山 2 農業・林業・漁業  9) 夕張森林鉄道跡 1991年10月  10) 当別高岡の水田盛衰 1994年6月  11) 農村懐旧行 1994年6月  12) 積丹半島西岸の袋澗群 1993年9月  13) 上富良野・静修開拓地 1994年6月  14) 恵庭森林鉄道跡 1994年9月 3 交通・通信・エネルギー  15) 張碓・朝里間の「軍事道路」 1992年10月,1994年7月  16) 落石無線電信局跡 1991年7月  17) 豊平川発電所導水路の跡 1994年10月  18) 幌内発電ダムその後 1994年9月  19) 豊富ガス発電所群 1994年9月  20) 礼文華山道 1993年10月  21) 問寒別殖民軌道 1992年8月 本書は「訪問記」であり、これらの場所の案内本ではない。そのため、記述は、堀氏が実査に訪れて見たものに対する感想が中心である。参考にはなるが網羅的なものではなく、抒情的なものだ。しかし、参考資料として、さかんに当時の地形図が引用されており、これは貴重なもので、私のような地形図好きにはたまらないところだ。さて、私にとって印象深かったものについて書こう。1)の下川鉱山は、私は行ったことはないのだけれど、鉱山廃水の管理を継続する関係で、まだ維持施設が残っている。鉱山のまわりにかつて集落が形成されていたとのことで、教育施設の廃墟など興味深いものが残っているほか、鉱山内で使用されていたトロッコ軌道なども訪問時はあったとのことで、私もいずれ行ってみたい。4)の石狩油田について、は、一時期これらの場所に油井があり、石油の生産、運送、精製が行われていたことを知る人は少なくないだろう。かつて石油輸送のための軽便鉄道も敷設されていたのである。その痕跡も、歴史を知ってこその産業遺産であろう。5)の羽幌の炭鉱跡は私も訪問したことがある。最近になって、羽幌町によって、旧ホッパーや、炭鉱付近の集合住宅跡、消防署跡、病院跡付近が整備され、容易に立ち寄れるようになっている。付近の廃墟は今も(毎年朽ちつつあるが)よく残っており、私も大好きな場所だ。9)の夕張の森林鉄道跡は、2014年のシューパロダムの完成により、三弦橋をはじめとする数々の美しい橋梁群が水没してしまった。私は2015年2月の試験湛水で水位が低下した際に、これらの遺構に接することが出来た。堀氏はさらに上流部の橋梁も含めて訪れており、貴重な写真が掲載されている。12)には私もよく知らず、驚かされた。ニシン漁が盛んだったころ、漁師たちは自費で自分の港のようなものを整備し、袋澗と呼ばれる港湾構造を作り、そこに捕獲したニシンをしばらく置いておいたとのこと。積丹半島西岸には、この自家製簡易港の残骸が残っているとのこと。今もあるのなら、是非見てみたいと思う。14)の札幌近郊の森林鉄道であるが、山奥に素敵な橋梁が残っていることが示されている。アプローチは簡単ではなさそうだが、とても興味深い。また、今ではおそらく痕跡を見つけることは難しいインクラインがあったことも解説してくれている。18)は、北海道電力の電力網の届く前に、枝幸、雄武の共同体が行った電力供給事業のため、作られたダム。今だったら電力自由化の先駆け的プロジェクトになったかもしれないが、北電の電力網の整備とともにその役目を終え、現在では、往時の半分の高さ(推定)に半解体されているとのこと。そのうらぶれた半廃墟のダムと、それでも水を蓄えた周囲の状況、これを囲む森と尾根から見渡された最果ての遠景が、美しく記述されている。堀氏は、雨が通り過ぎる中、この光景にしばし時間の経過を忘れ見入っていたというから、私も行ってみたいと感じた。21)は個人的思い入れがある。私の父が、廃止前のこの軌道に乗り、写真を多く記録している。その写真と照らし合わせながら、読ませていただいた。

ココパナ さん | 北海道 | 不明

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • yanapong

    北海道内に残る産業施設や土木構造物の遺跡・遺構をじっくり歩く。実践的なガイド。明日にでも現地に行きたくなる(訪問は自己責任で!)。誰か一緒にいこうよ。

  • owlman

    未来人が立つ、人工と自然の境界。忘却の果ては、緑。

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