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戦禍に生きた演劇人たち(仮)

堀川惠子

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784062207027
ISBN 10 : 4062207028
Format
Books
Publisher
Release Date
July/2017
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

演劇界を襲った検閲、蹂躙、拷問の時代。被爆直後の広島へ圧倒的な描写で迫る。舞台で輝きつづけた魂の交錯。

目次 : ある演出家の遺品/ 青春の築地小劇場/ 弾圧が始まった/ イデオロギーの嵐/ 拷問、放浪、亡命/ 新劇壊滅/ 「苦楽座」結成/ 彰子と禾門/ 眠れる獅子/ 戦禍の東京で/ 広島/ 終わらない戦争/ 骨肉に食い込む広島/ そして手紙が遺された

【著者紹介】
堀川恵子 : 1969年広島県生まれ。ジャーナリスト。『チンチン電車と女学生』(小笠原信之氏との共著)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。2010年『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』で第32回講談社ノンフィクション賞、2011年『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』で第10回新潮ドキュメント賞、2013年『永山則夫―封印された鑑定記録』(以上、講談社文庫)で第4回いける本大賞、2014年『教誨師』(講談社)で第1回城山三郎賞、2016年『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)で第47回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回早稲田ジャーナリズム大賞(15年)をそれぞれ受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • どんぐり

    『原爆供養塔』に次ぐ、堀川さんのノンフィクション作品。あの夏の日、広島に居合わせた劇団「桜隊」。5人が建物の下敷きになり生きたまま焼かれ、残り4人は19日間にわたり次々と放射能によって悲惨な死を遂げた。全員、東京を拠点に活動していた俳優たちだ。桜隊に深くかかわった作家三好十郎、俳優丸山定夫、演出家八田元夫の演劇人の軌跡とともに、芸術運動を政治に隷属させられた劇団と団員の足跡をたどる力作だ。とりわけ、戦地の川村禾門のもとに残された女優森下彰子の45通の手紙には、あの戦争を生きた人間の運命というものを感じざる

  • kawa

    またも凄いノン・フィクションに出会った。「いったん国が戦争をすることを許してしまえば、それに抗って生きることは容易ではない。もし、同じ時代が再び来れば、自分はまた同じことを繰り返してしまうだろう。人間はそんなに強くない。だからこそ、平和と言われる時代にあっても、無関心にその時代の行列に並ぶのではなく、自分が正しいと思うことに向かって意思を示し続けなくてはならない。」戦禍の中の弾圧を生き延び、ガンマ線に貫かれた演劇人・被爆者の弁。360頁最後まで読み徹して得られる納得の結論。しかし、重すぎて消化しきれない。

  • きょちょ

    戦争は国と国との争いだけではなく、1つの国で権力者がそうでない者を蹂躙するという悲劇がある。 映画や演劇界もひどい目にあわされる。 「桜隊」と名を変える劇団も、強制的に地方を慰問する移動演劇団にさせられ、演目も当然検閲され、最後は広島に移動させられる。 最後の演目は、検閲をうまくかわした練りに練った作品で、そこはうれしい。 だが、演出家ほか1名以外は被爆し全滅・・・。 哀れとしか言いようがない。 治安維持法などという悪法は二度と成立させてはいけないし、特高や憲兵なども二度と存在させてはならない。 ★★★★

  • チェアー

    筆者の本にはとにかく圧倒されるのだが、今回もまた、ああ、すごい本を読んでしまった。長年かけての地べたを這いつくばるような関係者への取材、そして資料の発見。それらをもとに歴史を再構築し、人を浮かび上がらせる。見えてきたものは、単なる原爆の悲劇だけではなくて、そこに至る「必然」、そして戦前、戦中の演劇人の生き様だった。いまと当時とどこが違うのか。読み終えてしばらく言葉がなくなるような本だ。

  • shushu

    新劇の起こりから始まり、治安維持法の演劇への弾圧、慰安劇団の地方移動の強制、原爆投下の際、どういう経緯で広島にいたのかを、過去のインタビューや残された資料を基に描く。読んでいて息苦しくなってくる。ただ、芝居をしたかっただけなのに。。原爆症で亡くなった俳優丸太定夫が玉音放送の数日後、「もう10日早く手をあげたらなあ」「芝居の出来る世の中になったんだね。2年待っておくれ。この身体を直してきっといい芝居をやってみせるよ」という言葉で涙腺決壊。この桜隊に参加していた妻森下彰子を亡くした俳優川村禾門の話も心に残る。

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