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保元・平治の乱 平清盛 勝利への道 ソフィア文庫

元木泰雄

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784044092030
ISBN 10 : 4044092036
Format
Books
Publisher
Release Date
July/2012
Japan

Content Description

貴族社会が崩壊を迎える平安末期、京を舞台に勃発した保元・平治の乱。武士中心に語られてきた通説は、錯綜する兵乱の真実を本当に捉えているのか。河内源氏と伊勢平氏を巻き込み、王家と摂関家が骨肉の争いを繰り広げた保元の乱。政治の実権を握った信西を、院近臣藤原信頼らが源義朝の武力で倒すも、平清盛に敗北、河内源氏の壊滅と清盛の勝利を招いた平治の乱―。野心に燃える貴族と武士たちが鎬を削った、闘いの真実に迫る。

目次 : 第1章 分裂する政界―鳥羽院政期の政情/ 第2章 帝王と上皇―保元の乱の勃発/ 第3章 激闘の果て―保元の乱の結果/ 第4章 新たな闘い―平治の乱の前提/ 第5章 闘いの終息―平治の乱の結末/ むすび 武者の世の到来

【著者紹介】
元木泰雄 : 1954年、兵庫県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程指導認定退学。中世前期政治史専攻。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。京都大学博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • だまし売りNo

    保元の乱は平安時代末の皇室や摂関家の争いである。保元元年(1156年)の鳥羽法皇の死を契機として起きた。後白河天皇と関白藤原忠通、崇徳院と藤氏長者・藤原頼長の争いであるが、戦争の中心は武士が担った。武士の時代の始まりを示す事件であった。結果は崇徳院側が敗れ、崇徳院は讃岐国に配流となった。

  • ほうすう

    この時代に関してはかなり不案内であり、うっすらとした教科書の知識と大河の「平清盛」の知識ぐらいしかなかった。そのために読んでいて新鮮な気持ちで色々と知ることができた。武士の世の始まりともいわれる二大戦闘も摂関家内部や院の近臣間での対立があくまでも主であり、武士は少なくとも主体的に乱に関わっていってないの様子。特に清盛に関しては最終的に勝者になった割に戦乱に乗り気でなかったらしいこと、乱以前も崇徳上皇に近い存在であり、後白河や信西と近い関わりでもなかったということなど意外であった。

  • オルレアンの聖たぬき

    保元の乱、平治の乱は、教科書通りに理解すれば、平清盛率いる平氏一門が『平氏にあらざれば』の時代を築くためのきっかけになった事件だと理解していたが、実相は全く違った。他の日本史の英雄がそうだったように時運に乗れる幸運を持ち合わせていたのが一つの理由。両乱とも、摂関家と王権の混乱から生じたものというのが大半の理由だった。

  • 失速男

    摂関家が没落、院政がしかれ、武家が台頭してくる怒濤の時代。姻戚関係や官位などから人間関係を解きほぐし、すさまじい権力闘争の果ての乱であることがよくわかる。しかし当時の貴族はどいつもこいつも男色が趣味って、、、、

  • いきもの

    保元・平治の乱といえば源義朝、平清盛が活躍した戦というイメージが強かったが、院政・摂関家の対立や、台頭した院近臣などが複雑に絡み合った戦であったというのがなかなか興味深かった。ここで飛躍した清盛もそれぞれの乱にそれほど積極的に関与しておらず、中立的な位置にいることが多かったのが意外。清盛のライバルとして描かれることの多い義朝も、清盛に比べれば身分はだいぶ低く、東国で形成した軍事力を背景に乱の中心にいたというのも意外であった。藤原信頼が清盛の先駆的な人物として注目されていてこれまた興味深かった。

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