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三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学 講談社選書メチエ

佐藤嘉幸

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784062586672
ISBN 10 : 4062586673
Format
Books
Publisher
Release Date
December/2017
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

『アンチ・オイディプス』(一九七二年)、『千のプラトー』(一九八〇年)、そして『哲学とは何か』(一九九一年)。哲学者ジル・ドゥルーズは、人々を震撼せしめた『差異と反復』と『意味の論理学』を経て、なぜ精神科医フェリックス・ガタリとの共同作業に取り組んだのか?ドゥルーズ=ガタリ名義で書かれた三部作に通底するテーマを精緻な分析と大胆な読解によって明らかにする。今こそ読み返すべき20世紀の古典!

目次 : 序論 三つの革命/ 第1部 『アンチ・オイディプス』(切断と主体集団の形成/ プロレタリアによる階級闘争/ 分裂分析と新たな主観性/主体性の生産―ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』)/ 第2部 『千のプラトー』(リゾームと横断性/ マイノリティによる公理闘争/ エイハブの恥辱か、フェダラーの勇気か―ドゥルーズとフーコー)/ 第3部 『哲学とは何か』(マジョリティによる政治哲学/ 革命、熱狂、概念―フーコー「啓蒙とは何か」を読むドゥルーズ=ガタリ)/ 結論 分裂分析と私たち

【著者紹介】
佐藤嘉幸 : 1971年、京都府生まれ。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。博士(経済学)取得。パリ第一〇大学大学院認識・文化研究科哲学専攻修了。博士(哲学)取得。現在、筑波大学人文社会科学研究科准教授。専門は、フランス現代思想、権力理論

広瀬純 : 1971年、東京都生まれ。早稲田大学大学院文学研究科芸術学専攻修士課程修了。パリ第三大学映画視聴覚研究科博士課程中退。現在、龍谷大学経営学部教授。専門は、映画論、現代思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • 左翼としてドゥルーズ=ガタリを読むための解説書。読みやすかった。

  • 磊落のい

    読み終えてみて、ヒューマニズムだと思った。言われてるのは、脱領土化、脱領土化、脱領土化。脱領土化とは、欲望が固定的な意味の秩序から解放されること(図解雑学現代思想参照)それをドゥルーズ=ガタリは分裂分析の目的である主体集団の形成に位置付ける。主体集団に対置されるのは、服従集団であり、それは、学校や工場といった資本主義的諸装置によって実現される。そこからの切断的移行、つまりマイノリティ性への生成変化こそが資本主義を打倒する上で重要だと言っている。「状態」からの脱領土化、創造の過程の上に身を置くことの重要性。

  •  

    再読。ただ、アンオプからミルプラを経て「哲学とは」に至って後退戦を強いられている現状がよくわかる。アンオプ=ミルプラが「切断の切断」としての68年的思想であれば「哲学とは」の余りにも資本主義の外部性を喪失した絶望的な(NGO化)された場所はどうか。佐藤、廣瀬共にレーニン的な「切断」つまり「前衛党」による欲望が割って入るための潜在性の現勢化がまず必要であることを認めているのは誠実であると思う。そういう意味では、ドゥルーズ =ガタリをなんとか政治の実践に移行させようとする苛立ちはわかるのだが。

  • differenciantum

    野心的かつ精緻な読解で素晴らしい。こういう本が日本から出てきたかと思うと、胸が熱くなる。ラカン、カント、とりわけフーコーとの対峙を通じて形成されたD=Gの実践的な(政治)哲学を説いた本。「権力はなぜ欲望されるのか」「なぜ人間は権力に服従するのか」という問いに徹底的に向き合いながら、(フーコーとはまったく違ったやり方で)そこに新たな未来の人間像を作りだそうとする試み。たとえば岡本祐一朗『フランス現代思想史』(中公新書)の消極的なD=G像を覆そうとするもの。ネグリ=ハートや不可視委員会の著作との併読も奨めたい

  • トックン

    3つの革命とは@プロレタリアによる階級闘争(『アン・オイ』)Aマイノリティによる公理闘争(『ミル・プラ』)B動物(少数派)を眼前にした人間(多数派)による政治哲学(『哲学とは何か』)を指す。@AとBの間のソ連崩壊を切断線とし楽観から悲観へ至ったとするが、佐藤・廣瀬は前者を重視。結論部で辺野古基地・原発(=ドゥルーズの謂う<問題‐問い>)を沖縄・福島の人に委ねるべきという民族自決主義には疑問。ドゥルーズは<問い>を重視したが、それは「解答」とはセットではなく偶然性(出来事)のシーニュではなかったか。

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