Books

どうして「体育嫌い」なんだろう ジェンダー・セクシュアリティの視点が照らす体育の未来

井谷惠子

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784469269994
ISBN 10 : 4469269999
Format
Books
Publisher
Release Date
February/2025
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

「体育嫌い」はあなたのせいじゃない!誰ひとり置き去りにしない体育の姿とは?「ジェンダー・セクシュアリティの視点」から「体育の当たり前」を問い直す!

目次 : 1 「体育嫌い」とは何か(なぜ、ジェンダー・セクシュアリティの視点から考えるのか/ 「体育嫌い」の現実/ そもそも「体育」とは何か)/ 2 「体育嫌い」の声に耳を澄ませる(女性の「体育嫌い」が多い理由/ 体育は男らしさの競技場/ 男女に分けると見えない存在って?/ みんなつらいのは、どうして?)/ 3 「体育嫌い」を生み出すしくみ(競技スポーツの「当たり前」を問い直す/ 社会と体育に染み込みすぎた競争)/ 4 「誰ひとり置き去りにしない体育」の未来に向けて(「体育嫌い」と共にある実践たち/ ジェンダー・セクシュアリティの視点から見る、体育のこれから)

【著者紹介】
井谷恵子 : 京都教育大学名誉教授。博士(学校教育)。2020年に定年退職し、現在は科学研究費助成事業等による研究プロジェクトに携わる。日本スポーツとジェンダー学会会長、理事長を務め、現在理事。専門分野は体育科教育で、おもな研究は体育・スポーツとジェンダー・ポリティクス。日本体育学会学会賞(2016年)、日本スポーツとジェンダー学会功労賞(2018年)など受賞

井谷聡子 : 関西大学文学部准教授。トロント大学博士課程修了(Ph.d)。専門はスポーツとジェンダー・セクシュアリティ研究

関めぐみ写真 : 甲南大学文学部社会学科准教授。大阪府立大学大学院人間社会学研究科博士後期課程修了。博士(人間科学)。専門はジェンダーとセクシュアリティの社会学、スポーツ社会学

三上純 : 大阪大学大学院人間科学研究科助教。京都教育大学大学院教育学研究科修了。修士(教育学)。専門は体育・スポーツとジェンダー・セクシュアリティ研究。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程単位修得退学後、2023年9月より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

Customer Reviews

Comprehensive Evaluation

☆
☆
☆
☆
☆

0.0

★
★
★
★
★
 
0
★
★
★
★
☆
 
0
★
★
★
☆
☆
 
0
★
★
☆
☆
☆
 
0
★
☆
☆
☆
☆
 
0

Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

powered by

  • ネギっ子gen

    【誰一人置き去りにしない体育・スポーツのために】「体育嫌い」当事者の声を聴き、「体育の当たり前」をジェンダー・セクシュアリティの視点から問い直し、「体育嫌い」を排除せずに、すべての人に開かれた体育を実現するための具体的事例を示した書。<学校教育では、あまりに「競技スポーツの文法」が強調されすぎて、「ライフ(生命・生活・人生)の文法」がかすんでしまっているところに問題があるようです。本書が、豊かなライフのためにどんな体育の学びが必要なのか、今の体育に何が欠けているかを示してくれる一つの灯台になれば>、と。⇒

  • Mc6ρ助

    「体育嫌い」という点では人後に落ちることはあるまいと思っていたが、随分と読書前の感覚とは違った。ジェンダーセクシャリティの問題とか、うっすらとしか理解していなかった部分の大きさよ。いや、いかに社会がスポーツとかそれを通じてのものを含む競争と密接に関わっていることか。幼いころ徒競走でいつもビリでも、世の中のいろんな序列が人間の価値を決めるものではないと日本国憲法の言葉を信じて動じることのなかった素直な自分を褒めてあげたい。でも著者たちの努力に反してこの体育・スポーツを取り巻く状況は簡単には変わりそうにない。

  • TAK.I

    体育の目的が「うまくなること」や「競争に勝つこと」だと刷り込まれてきた人が多数なのではないだろうか。運動が苦手だから体育が嫌い、苦手でなくても嫌な思いをしてきた人だっているはずだ。単なる個人の好き嫌いの感覚だけでは片付けられない問題がある。そもそも、近代スポーツが男性の教育手段として発祥し発展してきたという視点がどれだけの人にあるだろう。体育・運動が好きという人が多数を占めているのは事実だが、男女問わず、嫌いな人がいることがどこか無視されている風潮がある。

  • ろべると

    わたしは体育嫌いだった。運動神経がない身にとって、体育の時間は苦痛以外の何物でもなかった。鉄棒や跳び箱も嫌だったが、特に球技は、チームメイトに迷惑をかけるのが忍びなかった。心ない言葉もかけられて、それらは今でも脳裏に鮮明に焼きついている。本書の題名を見たとき、その気持ちに寄り添ってくれる本が出たと思った。その通りではあったが、本書はジェンダーの視点で語られる。女性やLGBT Qの人たちだ。そして旧態依然とした学習指導要領を糾弾する。日本の教育が変わらなければ、同じ思いをする子どもたちはいなくならないのだ。

  • ディス

    ◯。体育が得意で好きな層ってマジョリティなのかな。自分が子どもの頃は、体育は一部の得意な層が楽しくやってるだけに見えたなぁ。体育が得意な層はカースト上位になりやすいから、得意でない人たち、嫌いな人たちも逆らえない⋯そんな構図というのが自分の素朴なイメージ。競技スポーツ主体かつ能力主義的な環境がそういうものを生み出していて、結果体育のせいで体育が嫌いになるのだとすれば、それを個人の好き嫌いで片付けて良いわけがないみたいなのは同意しかない。

レビューをもっと見る

(外部サイト)に移動します

Recommend Items