北見市と池田町を結んだ全長140kmの鉄道路線は、かつて「網走本線」の名で、札幌とオホーツク地域を結ぶ交通の主脈を担った。しかし、石北線の開通により、その座を失い、線名も池北線と改称された。1989年に石勝線が開通した際、札幌から北見に向かう線形的な優勢を回復するかに見えたが、その場合、道北の中心地旭川を通過してしまうこととなる。加えて、民営化に後のJR北海道の経営基盤は弱く、池北線の輸送能を強化することはできなかった。地域交通としての役割は残ったが、JRは廃止を検討することとなる。しかし、沿線自治体の路線継続への意志は強く、北海道の介入により1989年から「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」に名称を変え、第三セクター方式で運営が担われることとなった。とはいえ、北海道を囲む経済環境はきわめて厳しかった。1955年のガット加入から1993年ウルグアイ・ラウンドに至る農産物の自由化、1962年の原油の輸入自由化による石炭産業の衰微、1957年のニシン魚群の消滅、これらに伴って大規模な資本が継続的に倒れることで、ついに1998年、北海道の基幹金融機関であった北海道拓殖銀行が破たんした。一次産業中心の開発が行われていた北海道は、度重なる強烈な経済的打撃にたちうちできず、いくつもの集落が消滅していった。池北線沿線においても、過疎の波はとまらず、当該路線も、奮闘むなしく基金が底をついた2006年に廃止となった。北海道の場合、やはり冬の厳しい自然環境が、経営上の大きな負担となる。低温と豪雪から鉄道施設を保守することは、どうしても経費が発生する。また、北海道内の他地域でも線路の廃止が相次いだことは、交通ネットワークとしての機能性を低下させ、さらなる利用者の低下を招くと言う慢性的な負のスパイラルに陥っていた。当写真集は亀畑清隆(1959-)氏によるちほく高原鉄道の廃止までの1年間を追ったもの。構成としては、まず巻頭カラーとして16ページ32枚におよぶ春夏秋冬、そして昼夜を幅広くとらえた美しい写真が飾り、そのあと北見駅から33の駅(及びその周辺)ごとに各4ページ4枚のモノクロ写真があり、巻末に4ページからなるさよなら列車の様子のカラー写真が掲載されている。池北線は、北海道の失われた数々の鉄路の中にあっては、比較的地味な路線で、有名な景勝地も海も湖沼も見渡すわけではないが、それでも広大な大地を感じさせる風景が展開していた。また、途中、酷寒で有名な陸別町、大合併前には国内最大の面積をほこった自治体足寄町を通っていた。付近はいずれもかつては森林資源の集積でにぎわったところで、置戸、陸別、足寄からは長大な森林鉄道が、深い森にむかって敷かれていた。亀畑の写真は、鉄道や、これに携わる人々、あるいは取り囲む大自然をみごとにとらえたもの。雪景色や夜景も美しい。私はたびたびかの地を訪れているが、とても空気の澄んだところで、とくに冬の湿度の低い日など、光の屈折が少ないため、遠景もゆがみなくくっきりと見渡せるので、荘厳なほどの美しい景色が見られるところだ。そんな地域の様子がとてもよく伝わってくる。失われた駅たちの姿も、理想的な形で記録されていると思う。足寄、陸別、本別など、駅舎を一新した駅では、その後のことを考えるとやるせない気持ちにもなる。いずれも後継施設として使用されているけれど、鉄路を失った姿には寂しさを禁じ得ないから。しかし、それ以上に多く失われた駅舎たちも名残惜しい。高島駅など、その瀟洒な木造駅舎は廃止後しばらく保存されていたのだが、最近になって老朽化のため、あっさりと取り壊されてしまった。かの地を巡り歩いても、懐かしい駅舎との再会を望むことはできなくなっている。それにしても、良い写真集だ。解説が最小限にとどまっているのは、残念な気もするが、写真たちがそれ以上に雄弁に様々なことを物語ってくれていると思う。なお、最後まで沿線で路線の存続を願った陸別町は、陸別駅−分線駅間の線路を保存し、無雪期の週末などに保存列車を走らせている。私も複数回訪問し、乗車させていただいた。この取り組みが長く続き、継続的な地域おこしの範となることを願う。