ロドリク・ブレースウェート

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アフガン侵攻1979-89

ロドリク・ブレースウェート

User Review :5.0
(1)

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784560082669
ISBN 10 : 4560082669
Format
Books
Publisher
Release Date
January/2013
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

侵攻・占領・撤退の知られざる真実


アフガニスタン侵攻の歴史的背景から全面戦争を経て撤退に至るまで、ソ連側から見た実態を膨大な資料に基づいて描き出す。冷戦期の「神話」を覆すアフガン戦史の決定版。


一九七九年一二月、ソ連軍はアフガニスタンへの侵攻を開始した。特殊部隊がカブールの主要目標を占拠し、宮殿を急襲してアミンを殺害した。だが、ソ連の意図は控えめだった。主要な都市や道路を確保し、政権を安定させ、軍隊や警察を訓練し、六か月から一年以内に撤退するつもりだったのだ。ところが予想に反して、侵攻は血なまぐさい戦争に発展し、抜け出すのに九年もの歳月を要したのである。
ソ連軍はロシア、ウクライナ、ベラルーシ、中央アジア、カフカス、バルト三国など、ソ連のあらゆる地域出身の兵士で構成されていたが、みな同じソ連の国民であるという意識を持っていた。しかし戦争末期、撤退が近づく頃になると、その意識も薄れていく。ソ連が解体しはじめると、以前の同志が自分とはまったく異なる、ときに敵対的な国に住んでいることに気がついたのだ。そして、アフガン帰還兵の多くは通常の市民生活に戻るまでに何年もかかることになる。結局、戻れなかった者もいる。
そして、自分たちが戦った同じ戦争の記憶から解放される者は誰一人としていなかった。(「プロローグ」より)


ロシア側から見たアフガン戦史の決定版
一九七九年十二月に始まったソ連によるアフガニスタン侵攻は、たび重なる反乱に直面した共産党政権を支援するためのものだった。当初、ソ連軍の任務はアフガン軍を支援し、部隊の訓練・強化を行うという限定的なものだったが、やがて、米国やパキスタンの支援を受けたムジャヒディン(イスラム戦士)との全面的な戦争に巻き込まれていく。撤退までの九年間に約一万五〇〇〇人の兵士が戦死し、無数のアフガン人犠牲者を出し、双方に大きな傷を残した。
元モスクワ駐在英国大使の著者は、主にロシア側の詳細な資料に基づいて、アフガン侵攻について従来広く信じられてきた説(領土拡大主義による侵略だった、この戦争がソ連の解体につながった、など)を否定する。当初、ソ連政府はあくまでも軍事介入を避けようとしていた。また、政府の失策や戦略的誤りによって兵士たちが困難な状況に置かれたのは確かだが、ソ連軍はけっして戦争に負けたわけではないし、撤退も整然と計画的に行われたという。
軍事介入に至る歴史的背景から説き起こし、ソ連・アフガン双方の複雑な国内事情や、兵士たちが経験した戦闘の緊迫感とその後の厭戦気分まで、紛争の全貌を詳細に描く。冷戦期の神話を覆すアフガン戦史の決定版。


著者:ロドリク・ブレースウェート Rodric Braithwaite
元外交官。1932年ロンドン生まれ。1950〜52年英国軍諜報部員としてウィーンに駐在。52〜55年ケンブリッジでフランス語とロシア語を学ぶ。55〜92年英国外務省勤務。この間、ジャカルタ、ワルシャワ、ローマ、ブリュッセル、ワシントンなどに駐在。88〜92年にはモスクワ駐在大使としてソ連崩壊前後の状況をつぶさに観察。92〜93年メージャー首相外交政策顧問。引退後は、ドイツ銀行上級顧問、王立音楽院長などを務める。著書にAcross the Moscow River(2002)、邦訳書に『モスクワ攻防1941』(白水社、2008年)がある。


訳者:河野 純治(こうの じゅんじ)
翻訳家。1962年生まれ。明治大学法学部卒業。主な訳書に『ピュリツァー賞受賞写真全記録」(日経ナショナルジオグラフィック社)、『アルジャジーラ 報道の戦争』『ムンクを追え!』『絶対帰還。』『趙紫陽極秘回想録』(以上、光文社)、『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』(柏書房)などがある。




【著者紹介】
ロドリク・ブレースウェート : 元外交官。1932年ロンドン生まれ。1950〜52年英国軍情報部員としてウィーンに駐在。52〜55年ケンブリッジでフランス語とロシア語を学ぶ。1955〜92年英国外務省勤務。この間、ジャカルタ、ワルシャワ、ローマ、ブリュッセル、ワシントンなどに駐在。88〜92年にはモスクワ駐在大使としてソ連崩壊前後の状況をつぶさに観察。92〜93年メージャー首相外交政策顧問。引退後は、ドイツ銀行上級顧問、王立音楽院長などを務める

河野純治 : 翻訳家。1962年生まれ。明治大学法学部卒業(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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冷戦期の神話を覆すアフガン戦史の決定版と...

投稿日:2021/04/25 (日)

冷戦期の神話を覆すアフガン戦史の決定版と書かれた帯を見て買ってしまった。侵攻の歴史的経緯から全面撤退に至るまでソ連側から見た実態を膨大な資料に基づいてあざやかに描き出す。元駐モスクワ英国大使の歴史家が明かす戦争の全貌と真実。40年ぐらいたたないと真実は明らかにされない。

西口まる さん | 大阪府 | 不明

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Book Meter Reviews

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  • 黒猫

    ソ連のアフガニスタン侵攻の10年を書いた貴重な本であった。そして、歴史はまだ続いていることを思い知らされた。1979年、ソ連は突如アフガニスタンに侵攻するがこれは必然的だった。かつて地上の楽園とも言われたアフガニスタンがソ連の侵攻により、長い辛苦を味わうこととなる。そしてそのソ連も、末期のブレジネフ他、指導者の高齢化に苛まれ国自体が立ち行かなくなっていた。一万五千のソ連兵士と無数のアフガニスタン人の死の先にあったものがソ連の崩壊であり、アフガニスタンの今に続いている内乱であることが非常に悲しい。良本です。

  • 人生ゴルディアス

    ついこのあいだ、カブールにタリバンが戻ってきて大混乱になった。日本ではすでにそんなことも忘れられている感じだ……。かつてムジャヒディンに米帝が資金提供していて、そこからアルカイダが出てきて、化け物を育てたのはお前らだろといういつもの流れくらいしか把握していなかった。アフガン戦争は知っていたが、そもそもなんでロシアはアフガンに? ということで本書を読んでみた。長大。アレクサンダー大王でさえ統治しきれなかった因縁の地。山岳民族は昔から平野部の政府には従わないのだ。絶対に。

  • にのまえとか辺見とか

    アフガン侵攻について、それに至る過程、戦中の兵士や銃後の生活、軍事作戦、撤退後まで包括的に描写した大著。アフガン戦争について調べるならまず入門用として適切。

  • A.Sakurai

    ソ連のアフガニスタン介入戦争に関した本は多いのだが、それぞれが断片的で全体が見えにくい。本書は一冊読めばほぼ経緯と雰囲気が分かる。特に「雰囲気」は特筆するべきポイントで、事態の渦中にある政府高官、将軍、兵士たちの気分や感情を説明している。ただしソ連側から見た、というのがもう一つのポイント。★内容としては大きく3つ。1)介入決定までの政治的動きと論理、2)戦争中にソ連軍人が体験した実態、3)撤退実行までの政治の動きと論理。具体的な個々の作戦や戦闘推移などは描かれないが主要な軍事事件は取り上げられている。

  • Toska

    『モスクワ攻防』もそうだが、ソ連を一方的に異質な存在と切り捨てることなく、具体的な状況における人間の営みを見出そうとする点で、この著者は欧米の著述家の中でも傑出していると思う。当事者たるソ連側の資料やインタビュー、ロシア語文献を積極的に利用しているのも重要で、ドイツ側資料や英語圏の著作だけに依拠して「独ソ戦」を書いてしまうような人々には爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ。他方、ソ連への「誤解を解く」ため一生懸命に正当化するというありがちな陥穽に陥らず、是々非々で論じるバランス感覚も素晴らしい。

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