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火葬人

ラジスラフ・フクス

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784879843128
ISBN 10 : 4879843121
Format
Books
Publisher
Release Date
January/2013
Japan

Content Description

グロテスクな恐怖が日常を侵蝕していく、恐怖がページから立ちのぼる。ナチスドイツの影が迫る1930年代末のプラハ。葬儀場に勤める火葬人コップフルキングルは、愛する妻と娘、息子にかこまれ、平穏な生活を送っているが…。

【著者紹介】
ラジスラフ・フクス : 1923‐1994。1923年、プラハ生まれ。カレル大学で博士号取得後、学芸員として国立美術館等で勤務。1963年に長編小説『テオドル・ムントシュトック氏』を発表し、収容所への移送を待ちかまえるユダヤ人の心理を幻想的に描き、一躍脚光を浴びる。以降、執筆活動に専念し、巧みな心理描写とグロテスクな細部の描出を特徴とする、怪奇小説とも、心理小説とも評される作品を数多く発表

阿部賢一 : 1972年東京生まれ。東京外国語大学卒業。カレル大学、パリ第4大学留学を経て、東京外国語大学大学院博士後期課程修了。現在、立教大学文学部准教授。専門は、中欧文化論、比較文学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • ケイ

    読んだことへの咀嚼が必要だった。火葬が普通ではないチェコで、自らの仕事を真面目につとめる主人公。他人からは軽蔑されているかもしれない職業を、合理的に捉え、愚直に邁進する。その彼を取り巻く状況がひとたび変わっていったら、彼はどう対応したのか…。上の階に住むユダヤ人医師家族のところに飾っていた絵を見て彼が自問した事が私は気になる。若い妻か年取った夫か、奪おうとした伯爵か。誰が幸せで誰が不幸なのか。そうとらえれば、彼がしたことが酷かったのかどうか、分からないではないかと、思わずにいられない。

  • 青蓮

    読友さんの感想より。ナチス・ドイツの影が迫る1930年代のプラハ。火葬場に務める善良なコップフルキングル氏は愛する家族と平凡で穏やかな日常を送っていたが、時代状況や彼を取り巻く人物達によって次第に変質していくーー自分が信じる「正義」のためなら、どんな犠牲も厭わないといったコップフルキングル氏の考えは程度の差はあれど、きっと誰もが心の内に抱えてるものなのかなと感じました。それが政治や国家権力と結びついた時、とても恐ろしい世界になる事は歴史が証明している通り。今の日本もそんな気配があるように感じるのは私だけ?

  • らむれ

    薄気味悪くて不穏な空気。人形劇のように繰り返し現れる人物たち、貼り付けたような微笑とうわべを飾る言葉。アダムスファミリー的な、シニカルでゾクッとする程度のものかと思いきや。終盤に向けて怖い怖い…。現実の歴史と隣り合わせの恐怖というのが怖さに拍車をかける。あとがきに書いてあったけど、ナチス時代に自分と変わらない同級生がどんどん消えていく恐怖を味わった作者だからこそ描ける狂気だと思う。知らないうちに飲み込まれていく恐怖。幸せは実はグロテスクなもの。赤い頬の少女は?言い争う夫婦は?世の悪夢は全てお芝居なのか。

  • どんぐり

    舞台は1930年末、ファシズムが押し寄せるプラハ。火葬場に勤めるカレル・コップフルキングル氏は、人の苦悩を解放するものとして、土葬よりも火葬に信を置いている。「すべての生き物は、短い生を営んだ後、死が宣告される。わたしたちは塵から生まれ、そのあと塵となり、そして塵に返していく。わたしたちの前にあるのも、背後にあるのも闇である。人間の生には意味などほとんどない」という考えの持ち主。これは、その主人公が、次第にアイヒマンと同類になっていくグロテスクな物語である。

  • zirou1984

    空虚な笑顔から浮かび上がる恐怖、汚れなき善意に潜む恐怖―本作の持つイメージを言語化するならそんな感じだろうか。火葬場に努めるコッペルキング氏の持つ哲学や仕事への熱意、家族への愛情は決して変貌した訳ではない。彼の持つユダヤ人への眼差しはナチスの台頭以後もコインの表裏が入れ替わっただけであり、それは彼の善意が終始空虚さに包まれていたことの証左でもある。だが、このような空虚な善意は誰しも日常で触れ得るものではないのか。これは狂気ではない、断じて正気の物語なのだ。そう、凡庸な幸福は、こんなにも悪のすぐそばにある。

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