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朝と夕

ヨン・フォッセ

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784336076441
ISBN 10 : 4336076448
Format
Books
Publisher
Release Date
August/2024
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

演劇、詩でも文学の新境地を切り拓いて注目され「言葉で表せないものに声を与えた」としてノーベル文学賞を受賞した、ヨン・フォッセの珠玉の小品。

〈第一部 誕生〉ノルウェー、フィヨルドの辺の家。息子の誕生を待つオーライ。生まれた子はオーライの父親と同じヨハネスと名付けられ、やがて漁師となる。
〈第二部 死〉コーヒーを沸かしパンに山羊のチーズをのせる‥‥老いたヨハネスの、すべてが同じでまったく異なる一日がはじまる‥‥フィヨルドの風景に誕生の日と死の一日を描き出した、神秘的で神話的な幻想譚。夢を見るような味わいの傑作。

【著者紹介】
ヨン・フォッセ : 1959年、ノルウェー西海岸のハウゲスン生まれ。フィヨルド地域のストランデバルムで育つ。ベルゲン大学で社会学、哲学、文学を学んだ後、1983年、タリアイ・ヴェーソスの影響を受けた小説『Raudt,svart(赤、黒)』を発表。1994年に最初の戯曲『だれか、来る』を発表、以来、現在までにフォッセの戯曲は世界50か国以上で上演され、高い評価を受けている。世界で最も多くの作品を生み出した劇作家の一人でもある。2010年国際イプセン賞。2014年欧州文学賞、2015年北欧理事会文学賞。2023年、「言葉で表せないものに声を与える革新的な戯曲と散文」によりノーベル文学賞を受賞

伊達朱実 : ノルウェー王国大使館で長く広報官を務めた後、翻訳者として活動。大使館では芸術文化分野のプロジェクトを多く手がけ、文学セミナーや翻訳ワークショップを開催した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • どんぐり

    北欧ノルウェーのノーベル賞受賞作家ヨン・フォッセの小説。フィヨルドのある漁村。第1部が誕生、第2部が死。生と死を重ねて連なっていく家族。ヨハネスを産んで亡くなっていく母親の臨死場面で終わる第1部から、漁師となって老いたヨハネスの第2部へ。死者が死者に、死者が生者と出会い、死者と生者が交差する。「シグネ、シグネ、俺が見えないのか」と叫ぶヨハネス。生者が躰に入り、通り抜けていく。死者の霊がたゆたう幻想譚。神秘的で神話的。平易な文章で句点がほとんどない。

  • たま

    2023年にノーベル賞を受賞したヨン・フォッセさんの作品。第1部はヨハネス誕生でこれが朝、第2部はヨハネスの死でこれが夕なのだろう。素朴な一漁師の誕生と死だが、死が「帰天」と言うにふさわしい宗教性を湛え味わいがあった。訳者あとがきによればフォッセさんは子どものころ神秘的臨死体験をしたことがあり、また現在の信仰はカトリックとのことだが、あくがれいでた魂が通いなれた道や港を漂い、迎えに来た友と共に空へ還っていく描写は(復活を強調しないゆえに)日本人の死生観に近いものも感じた。最後の数行がとても美しい。

  • syaori

    二部構成でノルウェーの漁師ヨハネスの人生の朝と夕、生と死が語られます。母親が「叫び、いきむ中」ひとりになり、「その時が来たら」「元いた場所に戻る」。「無から無へ移るだけのよう」なその生の豊かさが、友人や妻が逝った後の晩年の生活の寂しさや、貧しいけれども満ち足りた妻との生活といったヨハネスが最期に思い出す人生や、使った「すべての記憶の重みを纏っ」た洗濯桶が残るように、地上を離れる彼が末娘の目に妻の目の光を見るように彼が遺すものを通して示されて、繰返しを多用する文章と相まって美しい祈りの言葉を聞くようでした。

  • まこみや

    物語のキモは人物の変化にある。例えば物語文では〈人物が〜になる(〜する)〉物語という捉え方をする。それは、ある人物がある出来事によって以前と以後でどう変わったかに着目することに他ならない。つまり物語とはプロセスである、という考え方だ。ところがこの『朝と夕』はそうした物語観を敢然と捨て去る。人物の人生を誕生と死、すなわち始めと終りのわずか二日で描く。誕生においては意識も記憶もないわけだから、端的に言えばただ到着点だけを描くに等しい。死の時点からその人生を読者に想像させ、生きることの意味を問いかけるのである。

  • やまはるか

     誕生の場面から老いの場面に転換し「もう若くはないのだから、若さはとっくに過ぎ去ったのだから、とヨハネスは思った」と3人称語りであるが存在者だけが語られている訳ではない。「目に見えるものすべてが違って見える。今は漁具小屋が、またも重く、と同時に不思議なくらい軽く見える」度々存在者でないことが匂わされる。繰り返しの多用、句点のない文章で、「言葉で表わせないものに声を与えた」と帯に。テーマは老いと死、恐ろしいほど死を正面に捉えている 。

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