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義満の幕府権力確立、そして11年に渡る「応仁の乱」、 農民・仏門「一揆」 & 無頼「足軽」が初登場: 「室町時代年表帖 上巻(全2巻)」

ユニプラン編集部

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784897046273
ISBN 10 : 4897046270
Format
Books
Publisher
Release Date
June/2025
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

本書(上巻)は、明徳3年(1392)閏10月の3代将軍足利義満の「南北朝合一」にはじまり、「応仁・文明の乱」最中の文明5年(1473)の西軍大将山名宗全と東軍大将細川勝元の没までを時系列で記しました。

応仁元年(1467)に発生し、文明9年(1477)までの約11年に及んだ「応仁・文明の乱」は、やはり義政の強引な施策が端緒であった。
文正1年(1466)7月、三管領の一つ、斯波氏のお家騒動に、また事件が起こる。
8代将軍足利義政は側近の伊勢氏らの進言で斯波氏(武衛家)の家督を義廉から義敏にすげ替えた。
山名・一色・土岐氏らは反発、細川氏も批判的であった。義政子・義尚の乳人伊勢貞親は、さらに義政後継の義視(義政の弟)を讒言して排除しようとした。
ここにきて、細川勝元・山名宗全らは共同歩調をとり、伊勢氏ら義政側近を追落とした。
しかし、翌年の三管領の一つ、畠山家の勢力争いでは義政は山名氏に肩入れし享徳3年(1454)から続く「畠山氏のお家騒動」に介入、畠山当主で管領の畠山政長を罷免し、畠山義就を当主に据えた。
義就を支持する宗全と政長を支持する勝元の対立は激化する。
義政は山名、細川両人両方(義就、政長)合力を止めさせる。
追い詰められた政長はその第を自焼、上御霊社で義就と戦い、賊軍となる。勝元は動き出すが、義政は義就側支持を鮮明にし、山名側の武力を頼み、細川一門の権力を削ぎ、先の近臣政治の復活を図る。
応永1年(1467)5月細川・山名両氏は、各与党を京都に招集する。東側が細川京兆邸、西側が山名邸、そして東軍と西軍の本格的戦い「上京の戦い」が勃発する。

その他内容
「応仁元年の京都上京」地図、室町〜戦国時代の日本地図、 関連城跡位置図、広域図、略系図
1足利将軍家・鎌倉公方家、 2斯波家、3細川氏宗家(京兆家)、3-2細川典厩家、3-3細川野州家、 3-4阿波守護家、3-5淡路守護家、3-6和泉上守護家、 3-7和泉下守護家、
4足利一族の畠山家、5山名惣領家、 6山名氏伯耆守護家、7山名氏因幡守護家、8丹後一色氏、9京極氏、 10赤松氏惣領家、11六角氏、12若狭武田氏

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