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ジョルジュ・サンドセレクション 第8巻

ジョルジュ・サンド

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784894344488
ISBN 10 : 4894344483
Format
Books
Publisher
Release Date
April/2005
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

「あなた方がバラの言うことを聞いたことが全然ないとはお気の毒ね」。19世紀フランスを代表する女性作家ジョルジュ・サンドが、孫たちに語った、妖精や巨人が登場する“不思議”の物語の集大成。

【著者紹介】
ジョルジュ・サンド : 1804年、パリに生まれる。中部フランスの田園地帯ノアンの祖母のもとで育つ。1822年、カジミール=フランソワ・デュドヴァンと結婚。1831年、パリに出、『ル・フィガロ』紙に寄稿を始める。1832年、G・サンドの筆名で『アンディアナ』を出版、文壇にデビュー。1833年、メリメとの短い関係を経て、ミュッセとの関係(〜35年)。1836年、夫との別居協定が法的に成立。この頃リスト、マリ・ダグー伯爵夫人、ドラクロワらと交流。1838年、二人の子どもたちを伴って、ショパンとマヨルカ島でひと冬を過ごす。47年まで共に暮らし、豊かな創作時期を過ごす。1841年、P・ルルー、L・ヴィアルドとともに『独立評論』誌を創刊。1843年、大作『コンシュエロ』を完成。1847年、家族の前史まで遡る自伝『わが生涯の歴史』の執筆に着手(54年連載開始)。1848年二月革命勃発、臨時革命政府メンバーの傍で積極的に活動。1849年『捨て子フランソワ』がオデオン座で大成功を収める。1850年、彫刻家マンソーとの関係が始まる。1852年、政治犯の恩赦を求めてナポレオン3世に謁見。1864年『ヴィルメール侯爵』がオデオン座で大成功。この頃デュマ・フィス、フロベール、ツルゲーネフらと交流。1876年死去

小椋順子 : 1967年東京大学大学院博士課程満期退学。1968年パリ大学付属音声学研究所研究生。1969年より独協大学教授を経て、名誉教授。バルベ・ドルヴィイ研究、作品の翻訳など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

こちらは読書メーターで書かれたレビューとなります。

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  • nranjen

    図書館本。読んだ瞬間あまりに好きすぎたのに、延長かつ全部読みきれていないにもかかわらず延滞してしまい返すことに。ああ。読めたのは『ピクトルデュの城』『女王コアックス』の二編だけ。『ピクトルデュの城』は他所の評論で扱われており、その通りだと思いながら読んだ。評論を先に読んでしまうと小説の面白さが半減することは確かだ。その点『女王コアックス』は楽しかった。現実というものを孫娘の性質に合わせてユーモアを交えて知恵を授けるというサンドのやさしさと愛にぐっとくる。こんなにいい話が一冊という束になっているのが辛い。

  • つだしょ

    『ピクトルデュの城』のみ。画家の父と娘の物語。少女と精霊たちとの出逢い。著者ジョルジュ・サンドの「精霊がいるのかいないのかそれが重要」という前置き。義母や父親からの娘への抑圧(「絵描きになろうだなんてばかげた考えは捨てなさい」)。父親の没落と娘の大成。女性の書いた小説には、男性のそれとは異なった感覚を覚える。

  • つだしょ

    1)【ピクトルデュの城】肖像画家の父親に連れられて病弱な娘がピクトルデュの城を訪れ神秘的な体験をする。これは幻覚とか何か病的なものかと思うが、そうではなく、彼女の内的な才能の萌芽を比喩している。そして、誰にでもこの「ピクトルデュの城」のような特異点はある。現実は、父親にも画家にはなるなといわれ、浪費家の義理の母にもいじめられて過ごしたが、救ってくれる老医師がいたのもあり、ピクトルデュの体験を支えにしながら乗り切り、最後には再び訪れ、デッサンから油絵に移行していくきっかけとした。

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