オットー・ドフ・クルカ

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死の都市の風景

オットー・ドフ・クルカ

Product Details

ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784560083529
ISBN 10 : 4560083525
Format
Books
Publisher
Release Date
April/2014
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

アウシュヴィッツでの子供時代。収容所の記憶、母親の消息、奇怪な夢、神の存在など、「説明のつかない廃墟の風景」(カフカ)を、テープ録音起こしと日記で綴る。ユダヤ現代史家による異色の省察。図版多数収録。

目次 : 終わりでもある始まり/ テレージエンシュタットからアウシュヴィッツへ/ 「家族収容区」の最終撤去/ 一九四四年秋、アウシュヴィッツ―亡霊の都/ 記憶の光景をめぐる所見と当惑/ ガス室の前で残された三つの詩/ 死の都の衛星都市への旅/ 私だけの神話の風景―閉ざされた慈悲の門/ 渡れない川と「掟の門」/ 歴史と記憶の追及/ 夢 プラハのユダヤ人地区と大いなる死―二〇〇三年七月二十八日の日記より/ 時の中で凍りついた医師メンゲレ―二〇〇一年一月二十二日の日記より/ 神の嘆き―二〇〇二年八月十七日と二〇〇二年十一月十五日の日記より/ 補遺 絶滅収容所のゲットー―ホロコースト時代のユダヤ社会とその限界

【著者紹介】
オトー・ドフ・クルカ : 1933年、チェコ東部の小さな町ノヴィー・フロゼンコフで、ユダヤ系の父エーリヒと母エリーのあいだに生まれる。42年、テレージエンシュタットのゲットーに収容される。翌43年、母エリーとともにアウシュヴィッツ第2収容所ビルケナウへ移送され、同収容所の「家族収容区」に収容される。このとき多くの親族を収容所で亡くす。45年1月、ソ連軍の進攻を間近にしたナチスが強制的に収容者を移動させた「死の行進」を、父エーリヒとともに経験する。その際、父と脱走を果たし、チェコへ戻る。49年、単身イスラエルへ移住。初めはキブツで農業に従事するが、のちにユダヤ史の勉強を始め歴史学者となる。現在はヘブライ大学の名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • 安南

    「ただひとつ青と呼べるのは、他のどんな色も圧倒するのは、夏の色、静寂、忘却ー束の間の忘却ーの色として、記憶に刻みついているのは、1944年の夏アウシュビッツで目にした、あの色だ」鉄条網の中で見た青空を著者はまるで懐かしむように語る。そこで何が起こったのかという事実ではなく、あくまで個人的なエピソードの断片や奇怪な夢、カフカの寓話、ヨブ記などからイメージを喚起させ、思惟の過程が静かに、詩的に綴られている。「説明のつかない廃墟」を夢の中で彷徨っているような気分で読んだ。

  • くさてる

    アウシュヴィッツで子供時代を過ごし、紙一重の運命で生き延びた経験を持つ著者による回想。切れ切れに語られる回想には、その事実から簡単に連想されるような悲劇の場面や暴力、苦しみや苦痛の色は薄い。むしろもっと幻想的で、繰り返される淡々とした夢のようだ。でもだからこそ余計に、読み手の無意識にまでその静かな語り口が落ちていくような、より深い部分を掴まれてしまった気持ちになった。記憶から溢れるイメージによる感応で、ぼんやりと苦しくなる。不思議で怖く、でも間違いなく、歴史と事実を語った一冊です。

  • ケニオミ

    アウシュビッツでの経験があるにも係らず、思いを内に秘めた態度を貫いた内容だったと思います。何度もガス室に送られてもおかしくない場面を、単なる偶然により切り抜けられた著者は、人の意志とは係りのない次元で世界は動いているという一種の諦念に憑りつかれているようでした。自分のアウシュビッツでの経験を、同じくアウシュビッツで生き延びた人と共有できないという印象を著者はぬぐいきれず、疎外感を紛らすために、カフカの不条理な小説に逃げ込むというのは、理解できる気がします。自分が生き延びたこと自体が不条理と思えますからね。

  • きゅー

    後にイスラエルに亡命した著者によるアウシュヴィッツ回想記。印象的なエピソードは、彼が子供の頃に見た最も美しい風景としてアウシュヴィッツの青空と、遥か彼方を飛ぶ玩具のような銀の飛行機、辺りを擁している静けさを選んだことだ。彼と同じく少年時代を強制収容所で過ごしたケルテース・イムレは『運命ではなく』の中で、ほぼ同様のことを書いていた。彼らが使う”美しい”という言葉が私を混乱させ、何度も脳裏に蘇る。私はその状況を微塵も経験したいとは思わないが、極限の状況に生まれる美の偉大さ、そして人間の強さに惹きつけられた。

  • nem-nem

    もう二度と見たくないと思った光景の写真があった。巨大なガラスケースに入った大量の靴。投げ出されて集められた残骸。大量の四角いカバンやメガネもあった。全部、収容者から取り上げたものだ。そう、焼却炉の跡も見学した。 10歳前後で収容所に送られた少年の体験記。おそろしくリアルな回想録かと思うと、ちょっと違う。”死の都”に捕らわれた少年時代に筆者は、ある種の郷愁を感じているというのである。ウソだろう〜? いやいや様様なケースがあったのだ。体験者でないと感じえない、こういう世界も存在したことを知った。

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