アントニオ・r・ダマジオ

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意識と自己 講談社学術文庫

アントニオ・r・ダマジオ

Product Details

Genre
ISBN/Catalogue Number
ISBN 13 : 9784065120729
ISBN 10 : 4065120721
Format
Books
Publisher
Release Date
June/2018
Japan
Co-Writer, Translator, Featured Individuals/organizations
:

Content Description

何かを見る、聞く、触るなどによって身体的変化が生じ、情動を誘発する。この身体状態は脳内で神経的に表象され感情の基層となる。では、感情はどのようにして「私」のものと認識されるのか。意識はそのときどのように立ち上がりどう働くのか。ソマティック・マーカー仮説、情動と感情の理論で著名な神経学者が取り組む「感情の認識」という問題。

目次 : 第1部 本題に入る前に(光の中に足を踏み入れる)/ 第2部 感情と認識(情動と感情/ 中核意識/ なんとなく推測される気配)/ 第3部 認識の生物学(有機体と対象/ 中核意識の生成/ 拡張意識/ 意識の神経学)/ 第4部 認識せねばならない(感情を感じる/ 意識を使う/ 光のもとで)

【著者紹介】
アントニオ・ダマシオ : 1944年生まれ。アメリカの神経学者、精神科医。現代神経科学の第一人者。『デカルトの誤り』でソマティック・マーカー仮説を提唱

田中三彦 : 1943年生まれ。東京工業大学卒業。科学評論家、翻訳家(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

(「BOOK」データベースより)

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Book Meter Reviews

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  • やいっち

    中身が濃くて、かなりの日数を費やした。課題は、「何かを見る、聞く、触るなどによって身体的変化が生じ、情動を誘発する。この身体状態は脳内で神経的に表象され、感情の基層となる。では、感情はどのようにして「私」のものと認識されるのか。意識はそのときどのように立ち上がり、どう働くのか」であり、まさに意識と自己、感情そして身体全般を視野に置いた探求の書。単行本でも読んだはず。

  • またの名

    全部を解明できてはいないと言うくらいなので斬新な成果は少ないが、何より文章が巧み(レトリック過剰)。有機体の基本イメージとして原自己が絶えず毎瞬間に再構築され、その状況に関する強化されたイメージは現在のみに集中する中核意識へ生成し、より幅広く過去から未来までの歴史やアイデンティティさらに高次の創造力を含む自伝的自己または拡張意識が最上階に来る三段階によって、意識を説明。脳内で起きてる事象を別の脳レベルが捕まえる時、捕まえる方がその捕獲のプロセスの中で生み出されているという軽く言及されるだけの話が興味深い。

  • evifrei

    初ダマシオ書籍。割と真剣に前著『デカルトの誤り』を先に読めば良かったと思う。また、感情と情動が1つのテーマになっているが、読者がこれらを日常でどれほど意識して生活しているかで、この本の評価は二分しそうでもある。ダマシオは身体を重視した脳科学を展開するが、感情は身体に大きく依存するという指摘は首肯できた。意識を保ったまま、眼球の垂直運動・瞬き以外の運動が全く不能となる監禁症候群の患者が体験する特徴的な感情である『静けさ』は、通常の身体劇場を通じての接触が困難となることに由来するという説明が興味深い。

  • 赤い熊熊

    心身問題ではビッグネームの一人のはず、ダマシオ。丁寧な訳で読みやすいです。丁寧に読めばちゃんと書いてあることがわかりそうです。とはいえ、簡単な本ではないです。残念ながら自分が欲しい知識についてあまり示唆がなさそうなので、とりあえず一旦読むの止めました。

  • テツ

    意識は脳の中で生まれるわけではなく、肉体を通じて周囲の環境を分析して生まれるというお話を読んで、AIなんかに真の意識が芽生えるというのは(このお話を真だとするのなら)お笑い草なんだなあと感じた。「こころ」だの「たましい」だのって何となく「からだ」の上位に位置しているように感じてしまうけれどそれが大いなる誤解なんだとしたらまずは「からだ」を優先させないとなあ。「こころ」は自分の中心などではない。本質などではない。自分自身はこの肉体に包まれたもの全てだ。「こころ」だけを取り出すことなどできはしない。

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