Zombies

Zombies (ゾンビーズ) プロフィール

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ロンドンのセント・アルバンズ・パブリック・スクールで結成されたゾンビーズ。彼らはいわゆる学生バンドだった為、卒業とともに解散する予定だったが、皮肉なことに解散記念に出演したバンド・コンテストで優勝してしまう。そして彼らに惚れ込んだのちのマネージャーがデッカ・レコードと契約させたので活動を続けることになったのだった。

’64年にデビュー・シングル"She's Not There"をリリース。いきなり全米2位、全英12位の大ヒットを記録する。切なさを感じさせるメロディとコリン・ブランストーン独特の憂いと甘さのミックスされたハスキー・ヴォイス。そしてロッド・アージェントのジャズ的要素を含んだ印象的なオルガン。ゾンビーズのマイナー・メロディ系の大衆性とヒップなセンスの良さが両立したサウンドはこの後も特徴として続いていく。

3枚目のシングル"Tell Her Know"も名曲(全米6位、全英30位)。曲の途中でマイナー調のメロディになり、また開放的なメロディに戻るという構成で、起伏のあるユニークなポップ・ソングに仕上がっている。1stアルバム Begin Hereはよくある英ビート・バンドに終わらない、先述のゾンビーズ独自のセンスが生かされた作品だ。収録曲の中では、日本ではカーナビーツがカヴァーしたことで有名な"I Love You"がユニークなメロ展開を持つ曲で面白い。しかし、この後バンドはシングル・ヒットが飛ばせず、苦しむことになる。

結局、68年にはコリンらメンバー二人がゾンビーズを脱退。コリンは遂には音楽業界からも離れてしまう。残されたロッド・アージェント、クリス・ホワイトは自費で録音してあったテープをミックスダウンしてゾンビーズのアルバムとして発表した。これが今でも60’sロック/ポップス・ファンに人気の高い名作 Odessey And Oracle(’68年4月発表。タイトルの英語のスペルが間違っていることも有名)だ。

正直言って初期のヒット・シングルと1stアルバムのみの発表だったら、ゾンビーズは現在まで語り継がれるような価値あるグループとして認識されなかっただろう。このアルバムはそれだけ普遍性のあるポップスとして現在でも充分に聴けるし、時代もあってトータル・アルバムの趣きがあるところもいい。

一曲目の "Care Of Cell 44"のピアノのイントロからコリン・ブランストーンの歌い出しだけでもうノック・アウト! サビ前のタメのある部分にはビーチ・ボーイズ風のコーラスが。そしてコリンのいつになく鋭いサビが…正にこの世のものとは思えない美しさ(若いロック・ファンにはティーンエイジ・ファンクラブのノーマン・ブレイクが、人生を変えられたこの10曲みたいなアンケートに、この曲を挙げていた、と紹介したい)...このままでは、全曲紹介してしまいそうになるので、この辺で当時の反響を…ところが英国では全然ダメだった。ほとんど無視状態。しかしこの作品は数奇な運命を辿る。たまたまこのアルバムを聴いた、当時CBSのプロデューサーだったアル・クーパー(60’sロック伝説の人物。ブルース・プロジェクトを経てブラッド・スウェット&ティアーズ結成。脱退後はソロ・アーティストで活躍)が作品を非常に気に入り、’68年9月にCBSからシングル"Time Of The Season"(繰り返されるため息とリズム・パターンが特徴的な曲)をアメリカで発売。すると同曲は全米3位、200万枚の売り上げを記録する大ヒットとなったのだった。しかし、この時、すでにロッド、クリスは別のプロジェクトに入っており、ゾンビーズは解散ということになっていた。

Colin Blunstone & Rod Argent
ゾンビーズ脱退後、ヴォーカルだったコリン・ブランストーンは一時、音楽界から離れた生活を送っていたが、しばらくしてアルバム 一年間(One Year)を発表。ゾンビーズ時代からの憂いを秘めた歌声は健在で、落ち着いた雰囲気の名盤だ(1曲目でゾンビーズ曲を再演している。6曲目はピチカート・ファイヴ>、ハッピー・サッドアレンジの元ネタ)。この後のCBSからのアルバムは未CD化だが、一部はコンピレーション Some Years...で聴ける。また鍵盤奏者でコンポーザーのロッド・アージェントはArgentを結成。グループはヒットを飛ばし活躍した。

Al Kooper
Odessey And Oracleの”発見者”アル・クーパーは著名な60年代ロック界の重要人物。有名なところでは、ボブ・ディランの"ライク・ア・ローリング・ストーン"で奔放なオルガンを弾いてるのが彼だ(実は全然弾いたことが無かったそうだ)。また、ブルース・プロジェクトのリーダーを務め、最初期のブラッド・スウェット&ティアーズを牽引したメンバーであることや、マイク・ブルームフィールドらとのスーパー・セッションフィルモアの奇蹟も有名。彼はソロ・アーティストとしても人気作を発表しているが、ソロ代表作としては名曲"ジョリー"収録の赤心の歌(Naked Songs)や自由の女神に扮したジャケのアイ・スタンド・アローンをご紹介したい。

カーナビーツ
"She's Not There"を日本語でカヴァー(邦題"好きさ好きさ好きさ")したGSグループカーナビーツはアイ高野(ds.vo.)を中心とした四人組。ゾンビーズの場合にはB面曲だったが、カーナビーツの方は代表曲となるほど日本でヒットした。

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