Weezer

Weezer (ウィーザー) プロフィール

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Weezer

90年代半ばのポスト・グランジなオルタナ・シーンにおいて、リスナーの共感を生む等身大な歌詞、あるいはジョークっぽいニュアンスや切ないメロディ、歪みながらも爽快なパワー・ポップ系ギター・サウンドを聴かせ、多くの信者を生み出してきたウィーザー。セカンド・アルバム、『ピンカートン』発表後、活動休止してしまった彼らは2000年からライヴ活動を再開し、2001年5月に新作となるサード・アルバム、『ウィーザー(グリーン・アルバム)』を発表して復活。また新たなファンを獲得しながら現在に至っている。

バンドの中心メンバー、リヴァース・クオモはコネチカット州の片田舎に育ったが、80年代の後半、18歳のときに「ロック・スターになるために」ロサンゼルスへ向かった。しかしそこで彼は「ロック・スター」になることが馬鹿げたことだと気付くと同時に、その頃の失恋の痛手も相俟って、その悲しい気持ちを綴るべく曲を書き始めたという。本人曰く、当時の曲は大したものではなかったそうだが、習慣的に曲を書くようになったリヴァースは徐々に自分の気持ちをうまく音楽に託せるようになっていった。因みに高校時代のリヴァースはメタル・ファンだったが、ロセンゼルスに移りカレッジに通うようになってからはいわゆるオルタナ系に興味を示しだしたという。

ウィーザーのメンバー達が集まりバンドの練習を始めたのは1992年2月14日のことだ。その時のメンバーはリヴァース・クオモ(1970年6月13日生/ vo,g)、ジェイソン・クロッパー(g,vo)、マット・シャープ(1969年9月22日生/b,vo)、パトリック・ウィルソン(1969年2月1日生/ ds)。彼らは曲を書き、ロサンゼルスのクラブを中心に演奏活動を開始するが、当初はそれほどの評判を呼ぶことはなかった。それでも活動を続けていた彼らに大きなチャンスが巡ってきたのはおよそ一年半後のことだった。彼らはいきなりメジャーのゲフィン・レーベルと契約し、レコーディングのためにニューヨークへ赴く。そこで元カーズリック・オケイセック・プロデュースのもと、エレクトリック・レディ・スタジオでレコーディングされたのが彼らの記念すべきファースト・アルバム、『ウィーザー』だ。しかしこのデビュー作のレコーディング中に私的な理由によりジェイソン・クロッパーが脱退(この後彼はアンクル・ボブへの参加を経てチョッパー・ワンというバンドを結成)。代わりに元カーニヴァル・アートのベーシストだったブライアン・ベル(1968年12月9日生/ g,vo)がギタリストとして加入している。

1994年5月10日、ファースト・アルバム、『ウィーザー』発表。ここからは”Undone - The Sweater Song”、”Buddy Holly” 、 ”Say It Ain’t So”の三曲がシングル・カットされたが、特に”Buddy Holly”は同年のグラミー賞やMTVアウォーズなどで幾つかの賞を獲得し、彼らの人気はかなり高まっていった。また発表の翌年1995年にかけて同アルバムは好セールスを続け、結果的に200万枚を売り上げダブル・プラチナムを獲得している。

全米はじめ各国でのツアーを終えたウィーザーのメンバー達は、それぞれバンドとは別の個人活動をとるようになった。リヴァースはハーヴァード大学に通い始め、マット・シャープとパットリック・ウィルソンはレンタルズを開始。またブライアン・ベルはスペース・ツインズに参加した。

1995年初頭から翌1996年の夏にかけてセルフ・プロデュースによるセカンド・アルバムをレコーディング。『ピンカートン』と名付けられたそのアルバムは1996年9月24日に発表された。ここからは ”El Scorcho” ”The Good Life” 、 ”Pink Triangle”の三曲がシングル・カット。ややヘヴィな感触が濃厚で一般的にいわゆる売れ線ではないサウンドだったにも関わらず、『ピンカートン』は結果的にゴールド・ディスクを獲得。前作ほどの成功には及ばなかったものの、ウィーザーは根強い人気を見せつけたのだった。

『ピンカートン』発表後、日本でのライヴを含むワールド・ツアーを廻ったウィーザーはしかし、その後3年間表立った活動もなく沈黙してしまう。その間の1998年にはマットが自身のプロジェクト、レンタルズに専念するためにバンドを脱退してしまうという出来事もあった。そのマットの代わりにバンドに加入したのはジュリアナ・ハットフィールド始めさまざまなバンドのツアー・メンバーとして活躍していたマイク・ウェルシュ(1971年4月20日生)。彼はボストンのバーで行われたリヴァース・クオモのソロ・アクトのバックを務めたことがきっかけでバンドに加入したのだという。また前後するが1998年にはパトリック・ウィルソンの独りプロジェクト、スペシャル・グッドネスのリリースもあった。

ウィーザーが活動休止状態の中、ハーヴァード大に通いニーチェなどを読んでいたというリヴァースがやっと本格的なバンド活動に戻ってくるのは、2000年になってからのことだった(結局大学は卒業しなかったらしい)。高まる後進からのリスペクトやファンからの熱望もあって活動を再開したウィーザーは、2000年にワープト・ツアー、そして単独ツアーを敢行。久々の来日公演となるサマーソニック・フェスティヴァルへの参加もあった。そしてその後、復活作となるサード・アルバムが2001年5月に発表された。ファーストと同様にセルフ・タイトルとなったサード・アルバムは通称『グリーン・アルバム』と呼ばれている。またこのリリースと前後して4月に来日公演を敢行。

翌2002年5月には早くも4作目となる新作『マラドロイト』をリリース。初期こそウィーザーだ、いや変化/進化を認めるべきだと賛否両論様々な意見が飛び交う。アルバム発表と時を同じくしてリヴァース念願の武道館公演を行う。同年8月にはサマーソニック‘02のため再来日を果たす。(千葉マリン・スタジアムでは)ガンズ・アンド・ローゼズの一つ前という好打席(?)で、憧れのアクセル・ローズと同じステージに立てた喜びを隠さずに見せていたのが印象的だった。

バンドは次なる作品の制作に入っているとの噂もあったが、新作が到着する前にデビュー・アルバム『ウィーザー』に今では入手困難となってしまったレア音源を収録シタディスクを付けた『ウィーザー – デラックス・エディション』が届きファンを喜ばせてくれた、。そしてこのデラックス・エディションと同じタイミングで初の映像作品『Video Capture Device』もリリースされた。このほかにも元メンバーのマット・シャープの初ソロ・アルバム『マット・シャープ』も発売が決定しており しばらくウィーザーから目を離す事は出来ないであろう。

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