The Clash

The Clash (クラッシュ) プロフィール

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70年代後半、世界中を震撼させたパンク・ムーヴメント、その真っ只中で暴れまくり、永遠に消える事のない傷を残したクラッシュ。彼等はセックス・ピストルズ等と共に今や伝説と呼ばれる存在になっている。当時としては考えられなかった事であるのだが....。

このバンドが結成される以前、ブライアン・ジェームス(後のダムド)がメロディー・メーカー(MM誌)を通じて知り合ったケルヴィン・コルニー、ポール・シムノン、テリー・チャイムズ、トッパー・ヒードン等と共にロンドンSSというバンドを結成、後にバンドのオーディションにやって来たのがラット・スキャビーズ、このラットはブライアン・ジェームスと共にロンドンSSを脱退し結成したバンドがサブタレニアンズ、後のダムドである。

’76年、ミック・ジョーンズ(g)、ポール・シムノン(b)、ジョー・ストラマー(g、vo)にてクラッシュは結成されロンドンは伝説のクラブ100クラブでのイベントに参加しをその名を広めていった。彼等は同年のセックス・ピストルズのツアーに同行、更に人気を集め翌年’77年にCBSと契約を交わす。同年3月シングル”White Riot(白い暴動)”にて衝撃デビュー。4月にアルバム The Clash(白い暴動)を早くも発表。“I'm Bord With The U.S.A(反アメリカ)”や“Protex Blue(反逆ブルー)”等過激な内容の楽曲揃い。

翌’78年ドラムスにトッパー・ヒードンが参加し同年11月にセカンド・アルバム Give'n Enough Rope(動乱:獣を野に放て)をリリース、サンディー・パールマン、プロデュースで、何は無くとも3曲目、トッパーの炸裂するドラム、ジョー・ストラマーの搾り出すヴォーカルが最高にカッコいい“Tommy Gun”は必聴もの。2作目にして早くも頂点を極めてしまったクラッシュの最高傑作と誉れ高いアルバムである。

'79年12月には2枚組みのアルバム ロンドン・コーリング(London Calling)を発表。この作品からサウンドはパンクといった枠を越えて、レゲエやファンク、ロックの要素を取り入れた内容で当時ファンの間では賛否両論、論議を醸した内容のアルバムとなったのであるが、客観的に聴いてもヴォーカル、サウンド共にぶっちぎりのカッコ良さを放っているアルバム。

そして’80年にはなんと3枚組のアルバム サンディニスタ(Sandinista)をリリース。4作目になるこの作品では前作での試みを元によりブラックネスな内容にラップあり、アカペラありとファンは前作よりも戸惑ったりして....、全36曲の超大作。

'82年、コンバット・ロック(Combat Rock)をリリース。このアルバムよりメンバー・チェンジが行われ、初期のメンバーにては最後の録音となった。このアルバムからは“Rock The Casbah”“Should I Stay Or Should I Go”がヒット。そして’85年、メンバー・チェンジ後(ミック・ジョーンズ、トッパー・ヒードンが脱退)リリースされたアルバム Cut The Crap(カット・ザ・クラップ)ジョー・ストラマーは健在とはゆえ、かなりの曲を手掛けていたミック・ジョーンズの存在は大きかった、ファンの間でも今一つ評判が良くなかったアルバムである。このアルバムを最後にクラッシュは自然消滅。

後にジョー・ストラマーは映画音楽を手掛けたりするが、’89年自らのソロ アースクウェイク・ウェザー を発表、更には’99年ストラマー自身のバンド、メスカレロスを率いて「FUJI ROCK FESTIVAL」に参加、クラッシュの曲も披露している。2001年にはGlobal A Go Go(グローバル・ア・ゴーゴー)を発表。同年には来日公演も行っている。翌2002年には「朝霧ジャム」にメイン・アクトとして出演。またも観客を魅了した。そして同年12月24日、目を覆い隠したくなるようなニュースが飛び込んでくる。ジョー・ストラマーが50歳という若さで死去。死因は不明だが心臓を患っていたといわれている。

ジョー・ストラマーの死をもって再結成は夢のまた夢へと消えたが、解散して長い年を隔てた今も彼等の事をリスペクトするファンは多いのは事実である。

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