そして1993年2月、先行シングル「Animal Nitrate」をリリース、4月に絶大な賞賛と物議を醸した1stアルバム Suede がリリースされる。低迷していたイギリスのロックシーンの救世主として、華々しくリスナーに迎え入れられたSuedeは、デビューアルバムにして自らのバイブルを作り上げた。ストーン・ローゼズに代表されるマッドチェスター・シーンとは一線を画し、きらびやかなスター性とグラマラスなイメージでもって、デヴィッド・ボウイやスミスから連なるポップ・スターになるべくして登場した彼等は、自らの音楽によって世界を変えようとしていた。そんな彼等を取り巻く熱狂の嵐の中、1994年バンド内の軋轢と方向性の違いにより、バーナードが脱退。バーナードのギター有りきだったSuedeのグラマラスなサウンドの行く末に不安を隠せないまま、既に完成されていた2ndアルバム Dog Man Star をリリース(バーナードはその後McAlmont/Butlerを経て、やや休養した後、素晴らしく繊細で美しいソロアルバム People Move On をリリースしソロ・キャリアを歩みだす)。この年には、Blurが3rdアルバム Park Life を、翌年にOasisが Morning Glory をリリースし、音楽シーンは一気にBlur対Oasisの狂騒劇に走ることになる。
バーナード脱退後、バンドの分身的存在を失ったポップスターは憂き目に遭いながらも、新メンバーのリチャード・オークスを迎えて1996年3rdアルバム Coming Up で見事に復活した。シングル曲「Trash」のギターサウンドに留まらないエレクトリックな趣向も取り入れたサウンドは、新生Suedeの幕開けに相応しく鳴り響いていた。この「Trash」を初めとして、数々のヒットシングルをとばした3rdアルバムは、結果的にデビューアルバムにして最高傑作と謳われた Suede をはるかに上回るセールスを記録する。サイモンの従兄弟のニールがキーボードとしてメンバーに加わったこともSuede復活に大きな役目を果たしていた。そして1999年、4thアルバム Head Music をリリース。ダンスミュージックを頑なに拒絶していた彼等が、ハッピー・マンデーズのプロデューサーを迎えて70年代的サウンドと同時に近未来的なエレクトリック・サウンドを生み出した。