Rory Gallagher

Rory Gallagher (ロリー・ギャラガー) プロフィール

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ジーパンにチェックのネル・シャツにあちこち塗装の剥げたストラトキャスター…かなり贔屓目に見てもちょっとみすぼらしい(でもそこがカッコイイ!)その風貌、ローリング・ストーンズから誘いを受けながらも自らの人生のブルース、ロックンロールに一生を捧げた男……ロリー・ギャラガー

1948年3月2日 、アイルランドはバリーシャノンに生まれたロリー・ギャラガー。エルヴィス・プレスリーチャック・ベリーに憧れた少年は9歳の頃よりギターを手にする。以後独学でギターを学んでいったロリーは63年、フォンタナ・ショー・バンドなるバンドを結成し、アイルランド国内のみならずヨーロッパ遠征を行うなどしてバンド活動を続けた。

ロリーの名を知らしめたのはこの後、ジョン・ウィルソン、リチャード・マックランらと結成したテイストである。69年にはアイルランドからイギリスへと活動拠点を移し、ポリドールからアルバム、テイストでデビューする。当時、イギリスでは、クリームがシーンから姿を消しつつある時期で、テイストポスト・クリームとして注目を集めた。特に70年のワイト島フェスティバルのパフォーマンスは後に語り草になったほどのパフォーマンスを見せ付けた。しかし71年On The Boardsリリース後にメンバー間のいざこざにより、テイストはあっけなく解散してしまう。ここからロリーはソロ・ギタリストしての道を歩む事になる。

テイスト解散後、ロリーはソロ・ギタリストとして再出発する。71年Rory Gallagherで満を持してソロ・デビュー。同年末にはセカンド・ソロ、Deuceをリリース。翌72年にはロリーの評価を決定付ける事になるライヴ盤、Live In Europeをリリース。このライヴ盤で評価を決定付けたロリーはその年のメロディメイカー誌のベスト・ギタリスト部門で堂々一位を獲得している。その後 73年2月にBlueprint、 同年11月 には名盤の誉れ高いTatoo、74年には母国アイルランドの紛争地であるベルファストのアルスター・ホールにて録音されたIrish Tour '74をリリース。この年には初来日を果たしている。75年にはクリサリス・レーベル移籍第一弾となるAgainst The Grain(この頃ストーンズからバンド加入の依頼を受ける。) を、76年にはディープ・パープルのベーシストで、ジューダス・プリーストなどを手掛けるロジャー・グローヴァーをプロデューサーに迎えたCalling Card、78年にはテイスト時代を思わせるトリオ編成で制作されたPhoto-Finish、79年には通算10作目のTop Priority、80年には3枚目のライヴ盤Stage Struck、82年にはJinx…とコンスタントに活動を続けたがこの後暫く沈黙が続く事になった。

87年、自身のレーベル「カポ」を設立しDeffenderで現場にカムバックを果たす。90年にはFresh Evidenceをリリース。92年8年ぶりとなる2度目の来日を果たしファンを喜ばせた。しかしこの時がロリーの(日本での)最後のステージとなるとは誰が予想した事か…

訃報は突然飛び込んできた。95年6月14日、無類の酒好きであったロリーの肝臓は移植を必要とするまでに病魔に犯されていた。その肝臓移植手術で合併症を引き起こしてしまいこの世を去った。享年46歳。

ロリー・ギャラガーの使用していた塗装の剥げ落ちた60年代初期のストラトキャスターはアイルランドに初めて輸入された由緒正しいギターで、そのギターから織り成されるスライド・ギターは伸びのあるフレーズを聴かせてくれる。ハード・ロック系スライド奏者ではロリーの右に出るものはいないだろう。またアコースティック・ギターの腕前も確かなもので、アコギでのフィンガー・ピッキングもまた格別。マンドリン奏者としても有名だ。

ロリー・ギャラガーのギタリストとしての旬は70年代が頂点だったという声がほとんどであろうが、成熟した世界を作り上げるはずであったであろう晩年が期待されていただけにこの若すぎる死が本当に悔やまれる。かつては名ギタリストでもいまや歌手街道まっしぐらの某氏などと違い、一生いちギタリストでありつづけたことだろう。

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