その後、Stax/Voltレーベルとソロ契約を結んだオーティスは’63年、ソロ・デビュー・シングル「These Arms Of Mine」を発表、R&Bチャートで最高20位を記録するヒットとなり一躍注目される。サム・クックを偲ばせるその唱法は続く「That's What My Heart Needs」でも絶賛され、彼の代表作の1曲ともなった「Pain In My Heart」でその人気を決定付けた。同年、あの伝説のアポロ・シアターに招かれたオーティスは舞台裏にいたドリフターズやルーファス・トーマス、ベン・E・キングといった当時のスター・シンガー達をその圧倒的パフォーマンスで驚かせたという逸話も残っている。
しかし、’64年にリリースされたシングル「Come To Me」、「Security」、「Chained And Bound」は何れも大きなヒットには結び付かず、翌年、「Mr.Pitiful」で初のトップ10入りを果たす事となる。かつてないほどのハイトーンで聴かせるオーティスのそのパフォーマンスはまさに自信と威厳に満ちていた。’65年発表のアルバム「The Great Otis Redding Sings Soul Ballad」でジェリー・バトラーの「For Your Precioius Love」をカヴァーし、それがきっかけとなって生まれたのが、生前の彼の最高ヒットとなる「I've Been Loving You Too Long」である。ここでのオーティスはかつての作品にはなかったほど孤独に打ちひしがれていて、荒々しくも堂々たるヴォーカルを聴かせてくれた。後にアレサ・フランクリンがカヴァーしてナンバー1ヒットとなる「Respect」を発表したのもこの年で、「I've Been〜 」とは打って変わったオーティスのグルーヴ感が際立った、これまた彼の最高傑作の1曲である。
’66年にはロックの王者ローリング・ストーンズの最新ヒット「Satisfaction」の度肝を抜くカヴァーでR&Bチャート最高4位を記録。さらにその夏に発表されたアルバム「The Dictionary Of Soul(邦題:ソウル辞典)」も大ヒットした。このアルバムの中には、代表曲「My Lover's Prayer」、「Fa-Fa-Fa-Fa-Fa(Sad Song)」、そしてあの不朽のスタンダード・ナンバー「Try A Lttle Tenderness」が収録されている。’67年、カーラ・トーマスとのデュエット「Tramp」とシングル「I Love You More Than Words Can Say」がチャートを賑わせている頃、オーティスは意気揚々とヨーロッパでのツアーを成功させていた。(死後「Live In Europe」として発表)
しかし、サム・クックのカヴァー「Shake」、ベニー・グッドマンのカヴァー「Glory Of Love」のヒットを経て、結果的には生前最後のシングルとなった「Knock On Wood」を残してオーティスは突如この世を去る。1967年12月10日、日曜日。オーティスとツアー・バンドのバーケイズはクラブ・ショウ出演の為、自家用飛行機でクリーヴランドからウィスコンシン州マディソンへ向かった。午後3時半を回った頃、機はマディソン付近で着陸体勢に入るが、回りは深い霧に包まれ、滑走路を見失ってしまったパイロットはそのまま湖を覆う鈍色の氷上へと導いてしまう。機は氷を突き破って沈没、まだこれからという才能溢れる若きソウル・マン、オーティスは26年というその生涯をここに閉じる事となる。
しかし、オーティス伝説は決してこれで終止符を打つ訳ではなかった。死の僅か3日前に録音を取り終えていた遺作「(Sittin' On)The Dog Of The Bay」(名ギタリストでもあるスティーヴ・クロッパーとの共作)は’翌’68年、全米チャートで初のナンバ−1を獲得するビッグ・ヒットとなった。それまでのオーティスとは趣を変えたこのフォーキーなバラードは、全世界で彼の死を惜しむ声と共に愛唱され、30年以上の時空を超えて今尚、私達に感動を与えてくれる。「The Happy Song」、「I've Got Dreams To Remember」、「Love Man」、「Free Me」等、死後多くの未発表作品が発掘されたが、そのどれもが亡きオーティス自身への鎮魂歌として胸打たされるものだった。