Offspring
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Offspring (オフスプリング) プロフィール

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Offspring

オフスプリングの魅力といえば、スピード感溢れるサウンドと、一度聴いたら忘れる事のないキャッチーなメロディ、そして独自のユーモア・センスだろう。一応パンク・バンドを名乗っていれば、自制心が働いて出来ないような事もやってのけてしまう「遊び心」。この「遊び心」に多くのキッズが惹かれているのだろう(もちろん筆者もその一人。まあキッズという年ではないのだが...)。彼らの数あるレパートリーのなかでも人気の高い“カム・アウト・アンド・プレイ”や“オリジナル・プランクスター”などはその最もたる例と言えるだろう。

オフスプリングは1984年、カリフォルニア州オレンジ・カウンティにて、当時ハイスクール・スチューデントであったデクスター・ホーランド(Vo&G)とグレッグ・K(B)によって結成された。当時は同郷の先輩に当たるバンド、 ソーシャル・ディストーションエージェント・オレンジTSOL等を好んで聴いていたという典型的なローカル・パンクスの少年であった。当時のバンド名はパンクっぽいからという理由で(笑)「マニック・スーサイダル」という名を名乗っていたという。その後、ヌードルズ(G)が加入し、オフスプリングと改名。当時地元や程近いロサンゼルスのクラブではパンク・バンドは煙たい存在であったようで、彼らは半日近くかけて、自動車でサンフランシスコ近郊のバークレーまで遠征していたそうだ。そして86年にEP“アイル・ビー・ウェイティング”を1000枚プレスし、自主制作でリリースした。

87年、結成当初のドラマーが学業に専念する為、バンドを離脱。後任として当時まだ15歳であったというロン・ウェルティーが加入した。そして89年にはインディのネメシス・レコードから念願のデビュー・アルバム、オフスプリングをリリース(当時のジャケットのデザインは超スプラッタ!)。プレスされた数が少なかった為、スマッシュのブレイク以後プレミア化が進んだが、現在は再発売されている。しかし、まったくプロモーションを行おうとしないレーベルに不信感を抱いていたバンドは、バッド・レリジョンのブレット・ガーウィッツがオーナーを務め、当時頭角を現しつつあったレーベル、エピタフと契約したいと考える。デモ・テープをエピタフに送り、再三自分たちを売り込むが、なかなか首を縦に振らないブレットをようやく納得させることが出来たのは92年のことだった(91年にはブレットのプロデュースによるEP“バグダッド”をリリースしているので、これが切っ掛けとも言える)。

そして念願のエピタフ入りを果たしたバンドは92年に2ndアルバム、イグニションをリリース。やや方向性や輪郭がボヤけていた前作とは異なり、ビシっとキマったメロディック・ハードコアが展開された佳作である。そしてバンドが大きな転機を迎えるのが名盤の誉れ高い94年リリースの3rdアルバム、スマッシュである。スマッシュのなかのハイライトとも言える中近東フレイヴァー溢れる横ノリ・ナンバー“カム・アウト・アンド・プレイ”がスケート・ボードやスノー・ボードのヴィデオのBGMとして大フィーチャーされ、ボーダーの間から人気に火が付き、その人気が全米そして世界中に飛び火し、スマッシュは結果的に1,000万枚を超える大ヒットを記録した。同年にリリースされたグリーン・デイのアルバム、ドゥーキーも同様のヒットを記録しており、両バンドはネオ・パンク・シーンの旗手としてかつてない注目を集める事になった。日本では「メロコア」なる和製英語も誕生した(正確に言うとグリーン・デイはポップ・パンクなのだが)。95年には自らのレーベル、ナイトロを設立。1stアルバム、オフスプリングを再発させた。またこの年には初来日公演も行っている。余談ではあるが、筆者はこの時のクラブ・クアトロでのライヴを観に行って、オープニング・アクトのガーリック・ボーイズオフスプリングと勘違いしたという(舞い上がりすぎて曲が始まるまで気が付かなかった…)恥ずかしい過去を持っている。

そうなるとメジャーのレコード会社もオフスプリングを放って置くはずもなく、多くのメジャー・レーベルからお呼びがかかることになった。結果的に米コロムビア社と契約を交わす事になったが、この移籍を巡ってエピタフとは相当に揉めたそうだ。一説によると、オフスプリングのブレイクで潤ったレーベルをそなままメジャーに身売りしようとしたエピタフとの間に確執が生まれた、とも言われているが真意のほどは定かではない。

バンドの意思を尊重し、自由に活動させてくれるという理由で選んだとされるメジャーの米コロムビアからは97年に4thアルバム、イクスネイ・オンジ・オンブレをリリース。元デッド・ケネディーズジェロ・ビアフラのまくしたてるスポークン・ワードで幕を開けるあたりからして、彼らがいまだにパンクスのスピリットを忘れていない証拠である。ワールド・ツアーに伴い、2度目の来日も果たす。

98年には5thアルバム、アメリカーナをリリース。なかでも気でも違ったか?と思えるほどに突き抜けまくった“プリティ・フライ”が大ヒット。世界中を「アハアハ」言わせた。このアルバムはスマッシュと並んで世界中でクロスオーヴァー・ヒットを記録し、またもや1,000万枚を越すセールスを記録。しかし彼らのパンク・スピリットに変化が見られることはなかった。というのは、アメリカーナには現在のアメリカは古きよきアメリカ文化とは異なり、そんなに良いものではない〜という痛烈な皮肉が込められているのだ。99年には30周年を迎えたロックの祭典、ウッドストックに出演。アイドル・グループのバックストリート・ボーイズの人形をステージに登場させ、バットでめった撃ちにするというパフォーマンス(暴挙?)を披露。このBSBバット殴打パフォーマンスは3度目の来日公演でも披露された。もちろん日本のオーディエンスにも大ウケであった。

2000年9月、ラッパーのレッドマンをフィーチャーした“オリジナル・プランクスター”を公式ウェブ・サイトで無料ダウンロード開始。しかも「ダウンロードすると100万ドルが当たるチャンスが」というとんでもないキャンペーンを開催。ちなみにこの100万ドルの賞金はデクスターのポケット・マネーだったとか(笑)。そして同年11月に、5thアルバム、コンスピラシー・オブ・ワンをリリース。アルバム毎に著しい飛躍を遂げてきた彼らだが、ここで少し足踏み。賛否両論分かれる作品となった。2001年3月には4度目となる日本ツアーを行った。

2002年春頃、6thアルバムに向けて曲作りに入るが、日本びいきの彼らだけあり、同年8月にはサマーソニック’03にメイン・アクトとして出演。その後、アルバムのレコーディングを継続。そうして出来上がったのが、2003年11月にリリースされたスプリンターである。このアルバムはリリース前にガンズ&ローゼズが長年温めているアルバム・タイトル『チャイニーズ・デモクラシー』というタイトルでリリースするという情報が流れていた(もちろん彼ら流のジョーク)。デクスター曰くその理由は「アクセル・ローズが俺の髪型をパクったから」。なんやかんやで到着したアルバムは前作での足踏みを払拭するかのような、素晴らしい出来栄え。スマッシュの頃の切れ味と持ち前のユーモアが絶妙である。

オフスプリングが後続に与えた影響力は計り知れない。乱暴に言えば、多くの新世代メロディックと呼ばれるバンドの殆どがオフスプリングの影響下にあると言えるだろう。逆にオフスプリングダムドからの影響が顕著に窺える。特にマシンガン・エチケットなどはオフスプリング・ファンにも響くのではないだろうか。機会があれば是非ご一聴を。

最後にオフスプリングは現在進行形のパンク・ロックを代表する一番のバンドと言って過言ではないだろう。マンネリだとか、ワン・パターンだとかいう揶揄も少なくはないが、偉大なるパンク・ロック・バンド、 ラモーンズもワン・パターンの帝王であった。ここでラモーンズを引き合いに出すのは正しくないだろうし、オフスプリングよ、第2のラモーンズになれ!なんて野暮な事を言うつもりはない。ただオフスプリングラモーンズと同じくらいの高いところにまで到達しているのだ。これだけは紛れもない事実だ...よね?

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