Nina Simone
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Nina Simone (ニーナ・シモン) プロフィール

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 ニーナ・シモンほど個性的な声を持った歌手も珍しいだろう。初めて聴く人にとってほとんど男性歌手と聴き違う声は、一度虜になったら決して忘れない魅力に溢れた声である。
 ジュリヤード音楽院を出た俊英ピアニストだったニーナは、生活のために歌い始め、その個性的な声と、彼女が書く歌詞の持つ社会性において他の追随を許さない存在であった。
 ブルースとも、ジャズの唱法とも異なるニーナの歌は、都会的なジャズヴォーカルよりも、むしろシャッフルする弾き語りのピアノの伴奏と相まって、アフリカの大地をストレートに感じさせる。また、バラードにおける枯れた味わいは、ジャズの渋さとは違う、もっと内面の強さを感じさせる歌声だ。

 ニーナ・シモン、本名Eunice Waymonは、1933年2月21日にノースカロライナ州、トライロンに生まれた。7人兄弟の6番目に生まれたニーナは4歳からピアノを弾き始め、彼女の才能にほれ込んだ周囲のバックアップを得て、クラシック音楽のトレーニングで有名なジュリアード音楽院に進学した。しかし、貧しかった家族を助ける為ニーナは、1954年にはアトランティック・シティのアイリッシュ・バーで初めて音楽を仕事にしている。

 クラシック・ピアニストへの夢は中断されたが、このバーのオーナーに薦められ歌い始めたユーニス・ウエイモンは、やがて名前をニーナと改めめ、尊敬するフランスの女優、シモーヌ・シニュレに因んで、ニーナ・シモンと名付けた。したがって、本来はニーナ・シモーヌが正しいのかもしれない。

 1957年には新興の「ベツレヘム・レーベル」からデビューし、“アイ・ラヴ・ユー・ポーギー”の大ヒットでスターの座についたニーナは、順調にスター街道を歩んだ。
 1963年、バーミンガムでの黒人の子供の殺略に感じて“ミシシッピ・ゴッダム”を作曲、これ以降ニーナはこうした黒人社会に対する桎梏を歌い上げていく。抑揚の激しい彼女の歌声からは、いまだアメリカ社会が持っていた様々な矛盾に対するストレートな問いかけが聴こえてくる。

 こうした姿勢にも関わらず、ニーナの歌は多くの聴衆を魅了し、ヒット曲を重ねた。“行かないで”といった一般的なヒット曲のほか、ジャズファンに最もアピールしたのはビリー・ホリデイが歌った“奇妙な果実”だろう。
 この作品における彼女の歌詞の伝達力に於ける素晴らしさは、アメリカにビリー・ホリデイに匹敵するはじめての歌手の出現を感じさせた。

 やがて、ニーナは様々な理由でアメリカを脱出、ヨーロッパ各地を転々とする。1970年代後半からはヨーロッパに定住し、パリを中心として活動を続ける。1978年に吹き込まれたクリード・テイラーのCTIレーベルからの『バルティモア』では、“エヴリシング・マスト・チェンジ”をカヴァーして多くの若者にもアピールして人気を高めた。
 80年代〜90年代と地道な活動を続けるニーナの軌跡は、ビリー・ホリデイに勝るとも劣らない最高の歌手としての実力を認知させるとともに、黒人社会の矛盾を歌いつづけるオルガナイザーとしても多くのレベルで認知された。

  その影響は音楽的なものだけに限られず、大きく拡がっている。1998年にはネルソン・マンデラ、南アフリカ大統領の80歳の誕生パーティにも招待されていることからも、ニーナの活動、存在感が分かるだろう。

 2000年を超えてフランスに居を構え、さらに活動を活発化させていたが、ニーナは、2003年4月21日、Carry-le-Rouet, Franceで70年の生涯を終えた。ビリー・ホリデイ以降、アビー・リンカーンとは違った意味で、黒人社会の矛盾を歌の力で訴えてきたニナ・シモン。アメリカを超えて、全世界の黒人コミュニティを鼓舞し続けてきた偉大な魂は天へと戻っていった。次はいつ、どこに、誰になって生まれ変わってくるか楽しみだ。

 ニーナ・シモンの“最高の瞬間”は数限りないが、やはり、“奇妙な果実”における、吊るされた「果実」を歌う瞬間にしたい。この歌詞はアメリカ南部において虐殺された黒人が木から吊るされた姿を“奇妙な果実”と歌う、空恐ろしい事実への抗議の歌だが、ニーナの歌はそうした即物的な出来事を越えた、人間の存在そのものに問い掛けるほどに深く聴くものの胸に染み込んでくる。ニーナ・シモンこそは、ビリー・ホリデイ、エディット・ピアフに匹敵する20世紀が生んだ“もうひとりのメッセンジャー”だ。

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