Neil Young
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Neil Young (ニール・ヤング) プロフィール

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Neil Young

はじめてニール・ヤングの歌声を聴いたときは、軽いショックを受けた。なぜならその声を聴く以前に、雑誌だかLPのジャケットだかで、彼のゴツい風貌を目にしていたからだ。その体躯に似合わぬ繊細な高音ヴォーカル、と当初は思ったわけだが、今ではあの顔にしてこの声、というのが分かち難く結びついてしまって、当初どのような声を想像していたのか思い出せないほどになっている。

ニール・ヤングは1945年11月12日にカナダのオンタリオ州トロントで生まれた。父親は有名なスポーツ記者だったというが、 ヤングが14歳のときに両親は離婚している。母方に引きとられ、ウィニペグというところで育てられた ヤングはハイスクールに入る頃になると、ニール・ヤング&スクウィヤーズといったバンドを組み演奏するようになった。やがてトロントに戻りフォーク・クラブなどで歌っていた ヤングは、この時期ここで後にバッファロー・スプリングフィールドCSN&Yで活動を伴にすることになるスティーヴン・スティルスや、ジョニ・ミッチェルなどと知り合っている。

ヤングリック・ジェイムス率いるマイナー・バーズに加入し、モータウンで何曲か吹き込みを行うが、ジェイムスの徴兵によってこのバンドは活動休止に追い込まれてしまった。このバンドに居たブルース・パーマーとヤングは、ロサンゼルスにスティルスとリッチー・フューレイのもとへと向かい、かの地でバッファロー・スプリングフィールドを結成する。バッファローは米ルーツ音楽をモダンな感覚でとらえた音楽性を持ち、3枚のオリジナル・アルバムを発表した名グループとして後世に評価されるが、当時にはあまりセールスを挙げられず、またマネージメントの不備やスティルスヤングの対立がもとで1968年に解散。この後、ヤングはソロ・キャリアを歩むことになる。

1968年にジャック・ニッチェが関わった1stアルバム ニール・ヤング を、そして同年に2週間で録られたというウィズ・クレイジー・ホース を発表。また1969年にはソロ活動と並行して、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング(CSN&Y)というスーパー・グループでの活動も行っていく。その後のソロ・キャリアを駆け足で追うと、1970年に名作の誉れ高い アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ を発表。冒頭曲から「テル・ミー・ホワイ〜」という、ともすれば青臭い言い方とヤングの少年のような声の響くこの作品。アコギの弾き語りのみにも関わらず、ガツンという衝撃をリスナーに与える。一方で”サザンマン”での直接的な激しさも彼の個性における重要ポイントで、この瑞々しさと荒々しさの無理のない同居が、彼の音楽を振れ幅の大きいスケール感あるもの、そのときどきの表現欲求に忠実な活動姿勢に繋がっている。

ややあって1972年には代表作のひとつに数え上げられる穏やかな作品 ハーヴェスト を発表。幾つかの作品を経て届けられたダークな名作 今宵その夜 (1975年)、ラテン・アメリカのアズテカ文明からタイトルをとった ズマ (1975年)、牧歌的なムードが特徴的で、ニコレット・ラーソンも参加したカムズ・ア・タイム を経て、当時吹き荒れたパンク・ロックに共鳴し、エレクトリック・ギターの咆哮とメッセージを聴かせた ラスト・ネヴァー・スリープス(1979年)、ライヴ作ライヴ・ラスト (同年)を発表。またテクノ・ポップ(トランス)やロカビリー(エヴリバディズ・ロッキン)カントリー(オールドウェイズ)といったさまざまな音楽性にチャレンジするもやや迷走と言われた80年代の作品を経て、天安門事件にインスパイアされた フリーダム (1989年)でニール・ヤングらしさが復活。グランジの祖と呼ばれ、そうした音楽への共鳴を見せた傷だらけの栄光を発表したかと思えば、いきなりその反動のようなアコースティック作ハーヴェスト・ムーンを出したり、パール・ジャムと共演したミラーボールなどを作ったりと常に時代と自分との距離感を見つめながら(ときに暴走しながら…)振幅の激しい活動を展開してきている(余談ながらライヴ作もニール・ヤングの時代との関わりを示す指標として無視できないものがある)。ここ最近の出来事としては、1999年にCSN&Yとしての久しぶりの作品ルッキング・フォワード発表、2000年に自身のソロシルヴァー&ゴールド とライヴ作 ロード・ロックス Vol.1 がオリジナル・アルバムとしてリリースされており、昨年2000年には実に12年ぶりの来日公演となったフジ・ロック・フェスティヴァルへの参加があった。そしてこの2002年4月には新作 アー・ユー・パッショネイト が予定されている(2002年3月現在)。

ここで最近のリリースの補足をすると、アルバムシルヴァー&ゴールド と同時期に同名タイトルの映像作品を、また ロード・ロックス Vol.1 のほうも映像作品がリリースされており、そしてバッファロー・スプリングフィールドボックスセットにも、勿論かつて在籍したニール・ヤングが関わっていた。なお余談だが、この作業で旧友と再開し、素直に過去へと目が向かったことが、CSN&Yの復活劇や、シルヴァー&ゴールド中の楽曲“バッファロー・スプリングフィールド・アゲイン”などに繋がったのだった。映像作品の件で言うと、この勢力的なリリースの裏には、高いクオリティでのオーディオ的、映像的興味が得られるDVDソフトの一般への普及という事情があった。もともとを辿れば、古典的な音楽性、活動姿勢を見せるニール・ヤングが、意外とニューメディアへの嫌悪感というものがないこともポイントとして挙げられるが、それ以上に米国のDVD購買層の中心――60年代ヒッピー〜70年代世代――からの、ニール・ヤングのライヴ・ソフトへの需要が大きかったことがそれを加速させたと言えるのではないだろうか。かつてイーグルスヘル・フリーゼズ・オーヴァーが、米国で70年代世代の音楽ファンの間でDVDが普及するきっかけになったキラー・ソフトとなったこともそうした状況を裏付けているように思う。

90年代に入ってからのニール・ヤングに対する若手ミュージシャン達からのリスペクトや影響を受けたサウンドの隆盛にはすごいものがあった。グランジ・ムーヴメント以前からアメリカのアンダーグラウンド・シーンにおいて一貫した姿勢で活動を展開してきたソニック・ユースは、ニール・ヤングとツアーを廻り、またダイナソーJRJマスシスギャラクシー500のディーン・ウェアハムらのヴォーカルはニール・ヤング直系などとも言われるなど、「レトロ」ではなくニール・ヤングと当時の状況を結びつける要素が顕在化しだした。またティーンエイジ・ファンクラブレモンヘッズらのギター・バンド、そしてオルタナ・カントリーと呼ばれたバンド達のヒーローはむろんフライング・ブリトー・ブラザーズグラム・パーソンズであることが多かったが、それらからの影響以上に、むしろ楽曲的にはニール・ヤング的な感覚との近似がある場合も結構多かったように思う。ある種のインディ精神やバンドの在り方を突き詰めていくと、どこかしらニール・ヤング的な奔放さに通じていくのかもしれない。

アコースティック・ギター・イコール・大人しい音楽などとは決して言えない、あのあのぼさぼさの髪を振り乱してのアコギ&ハープ・パフォーマンス。リスナーの心情の襞を密やかにしかし確実に射抜くアコースティックなナンバーや、ときにこれ以上ないほどの繊細さを見せるニール・ヤングの歌声。かと思えば、あの轟音エレクトリック・ギターとクレイジー・ホースという見事な発明品(!?)を駆使しての歪んだラヴ・ソングや思いのたけをぶつけるメッセージなどもある。ニール・ヤングにある、歌う対象にとことんのめり込んだ結果の振幅の激しさと、それを一点の曇りもなく表現する歌声、それを裏付けてきた30年以上にも渡る活動におけるイノセントさは奇蹟的なものだと思う。

ことあるごとにジミ・ヘンドリックスなどかつての60年代の同期生に敬意を表し、あの世代の生き残りであることを表明するニール・ヤングは、アメリカの60〜70年代を潜り抜けてきた世代にとっては、この上なくノスタルジーを刺激する存在なのだろうし、それは理解できるのだが、先に触れたような若い世代にも確実に彼の存在とスピリットが引き継がれているのを見ることのほうが、後追い世代の自分にとっては興味深い。世代を越えて訴えかけてくる、あのスピリットの継続が、ニール・ヤングを決して「終わった人」にしないのだと思う。

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