Michael Schenker
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Michael Schenker (マイケル・シェンカー) プロフィール

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1970年代から1980年代にかけて、ハード・ロック&ヘヴィ・メタル界においてのギター・ヒーロー。ヴァン・ヘイレンを筆頭に、数多くの個性的なギター・プレイヤーたちがシーンに現れました。そんな中で、ある種カルト的な人気を誇ったドイツ人ギタリスト、マイケル・シェンカー。ここ日本においては、そのドラマティックな生き様とプレイ・スタイルから熱狂的な信者たちがたくさん存在し、現在も神と崇めファンがとても多い状況です。

マイケル・シェンカーは1955年1月10日、西ドイツ・ハノーヴァー:サーステッドにハインリッヒとウルスラの次男として誕生しています。長男・兄はロック・レジェンド、スコーピオンズのルドルフ・シェンカー。F1界において“世界一速い遺伝子を持った・・・”と称されるシューマッハ兄弟を彷彿させる、ドイツが生んだ偉大な兄弟です。

サッカー少年であったというマイケル・シェンカーがギターを始めたのは9歳のころ。兄・ルドルフの影響からです。多くのギター・ヒーローたちがそうであったように、マイケルもその天才ぶりを早くから見せつけていたようです。11歳の時、初めてのバンド“イノヴェイツ”を結成、後に幾つかのバンドを経て、スコーピオンズに参加。1972年に記念すべきデビュー・アルバム、ロンサム・クロウ(Lonesome Crow)を発表。このときマイケルは弱冠16歳でした。

1973年、マイケルに大きな転機が訪れます。英国のバンドUFOの前座を何度か務めていたスコーピオンズUFOのあるライヴのとき、彼らは手違いでギタリストが欠けてしまっていました。そこで代役をマイケルに依頼し、初めて彼はUFOとしてステージに立ったのです。若き天才ギタリストの出現を、UFOの中心人物フィル・モグは見逃しませんでした。正式参加の依頼を受けたマイケルは、単身でイギリスへと渡ります。しかしここから彼の苦悩の日々がはじまるです・・・。

ドイツ人であったマイケルは、当時英語が喋れなかったそうです。他メンバーとのコミュニケーションがうまく取れない日々が続き、彼の精神は病んでいきました。酒とドラッグに溺れ、言動・行動にも病的な部分が見受けられるようになり、絶え間ないツアーの疲労も重なった結果、UFO在籍中に4度もの失踪事件を起こすこととなっています。

しかしマイケルがこのように過ごした苦悩の日々が、UFOが一番光り輝いていた時期と重なり合うのです。その情緒的なメロディ・ライン、鬼気迫るテンション・・・、彼のプレイと楽曲はそのときの心身をすり減らしながら生み出されたものと、ファンたちは信じて疑わなくなりました。

1974年、現象(Phenomenon)マイケル18歳にして“ロック・ボトム”、“ドクター・ドクター”です。その後、フォース・イット(Force It)、(1975年)、ノー・ヘヴィ・ペッティング(No Heavy Petting)、(1976年)、新たなる殺意(Lights Out)(1977年)、宇宙征服(Obsession)(1978年)とヒット作を続々リリース。マイケルはヨーロッパNo.1ギター・ヒーローとして君臨することとなります。しかし、彼にはもはやバンドを存続する気力は何処にもなかったのです。ロック史上に残る名盤、ストレンジャー・イン・ザ・ナイト UFOライヴ(Strangers In The Night)(1979年)がリリースされたときには彼はバンドを脱退していました。

兄ルドルフに救いの手を差しのべられ、一時的にスコーピオンズに参加したマイケルではあったものの、廃人寸前といった病状からツアー途中で活動を断念せざるを得ず、故郷での入院生活を余儀なくされてしまったのです。しかし、ここでソロ・プロジェクト、マイケル・シェンカー・グループの構想が生まれたそうです。間違いなく全盛期を迎えていたといえる、ひとりの天才ギタリストに対して、“神”はプレイし続けることを告げていたのでしょうか・・・。

1981年、神 帰ってきたフライング・アロウ(Michael Schenker Group)を発表。邦タイトル通りに見事に復活したマイケル。この作品は“アームド・アンド・レディー”、“イン・トゥ・ジ・アリーナ”、“クライ・フォー・・ザ・ネイションズ”という素晴らしい楽曲を収録した伝説のアルバムです。2作目、神話(M.S.G. )(1981年)は、前作のメンバーはヴォーカリストのゲイリ・バーデンのみ、ギター&キーボードにポール・レイモンド、ベースにクリス・グレン、そしてドラムにはコージー・パウエル迎えるなど、ソロ・プロジェクト色の強い前作からバンドとしてのマイケル・シェンカー・グループへと変化しました。このメンバーでのツアーを収録した飛翔伝説 MSG武道館ライヴ(One Night At Budokan ) (1982年)、グラハム・ボネットをヴォーカリストに迎えた最もヘヴィな、黙示録(Built to Destroy) (1983年)、マイケルのギター・ワークが円熟味を増してきた、限りなき戦い(Rock Will Never Die) (1984年)と快進撃を続けます。しかしこの間も、その後にもマネージメント絡みのトラブルなどが多発していたようです。1987年、ロビン・マッコーリーをヴォーカリストに迎えた新生MSGもやはり長くは続かず、自らのレーベルからリリースされたアコースティック・アルバム、サンキュー(Thank You) UFOの再結成などを経て現在に至るといったところです。

いつか完全燃焼してくれる日をと、ファンは今でも待ち続けているわけですが、なかなか全盛期のようなプレイが聞けない現在のマイケルに対して、ファンは可愛さ余って「精神的重圧が無いシェンカーは・・・」と言ってはいけないことを口にしてしまいます。でもそれは、現在も着実にテクニック的な部分において向上し続けるマイケルを知るファンだからこそ、まだ諦めきれない・・・といった部分もあるのです。

マイケル・シェンカーのプレイ・スタイルについて。トレード・マークの2トーン・カラーに塗り分けられたフライングV。これを股間に挟み、ソロを弾く・・・。UFO時代はこのカラー・リングはされていなかったものの、やはりフライングVを愛用、美しいブロンドの長い髪を振り乱しながらのプレイするルックスは、当時としてはかなり奇抜なものであったといえます。そしてモーレツにカッチョよかったのです。プレイ自体には特別なリックはあまり見せないマイケルではありましたが、UFO時代(1970年代)としてはかなり異常な早弾きギタリストと評価され、特にそのピッキングには熟練したテクニックを持つとドイツのクラフトマン・シップ的な感覚でその巧さを表現されていました。そしてもうひとつ、ペダル・ワウを通した独特のサウンドに魅了されたファンも多いことでしょう。ギター誌に載っていた“Cry Baby”の改造法を見て真似た方、オジサンの世代では結構いたものです・・・。そのサウンドに、フレーズに、名前が書いてあるかのごとく、すぐに彼のものだと分からせてくれるマイケルのプレイ。その個性は、たくさんのギタリストに影響を与えました。

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