”キャバレー”でアカデミー主演女優賞とゴールデン・グローヴ賞をダブル受賞、ミュージカル界では、”Flora The Red Menace”で初めてのトニー賞を受賞。以後、トニー賞を計3度も受賞という輝かしい功績を残した歌姫、ライザ・ミネリは、名監督ビンセント・ミネリと言わずと知れた大物女優ジュディー・ガーランドの愛娘。ステージ・デビューは7歳、そしてスクリーン・デビューは弱冠3歳という経歴の持ち主。昨年2000年10月、ウイルス性脳炎でフロリダ州の病院に入院というニュースも入ってきましたが、回復にむかう事を願いたいものです。それでは、経歴に触れてみたいと思います。
名監督ヴィンセント・ミネリと命女優ジュディー・ガーランドの愛娘として生まれたサラブレット。幼年期の殆どはハリウッドで生活するが、アメリカ・ヨーロッパ各地を巡業する両親の影響もあった為、彼女は転校・入学を繰り返し、その数は噂によれば20校程と言われている。正確にいうと2歳半の頃にジュディ・ガーランドが主演した”In The Good Old Summer Time”でスクリーン・デビュー、そして7歳の頃に、ニューヨークのパレス劇場で初舞台を経験する。
ショービジネスの世界へ入ることを考えていなかったミネリだが、次第にその魅力の虜となってゆき、”Take Me Along”、そして” The Flower Drum Song”のリバイバル公演のステージに上がる。その後の1941年、Ralph BlaneとHugh Martinによるオフ・ブロードウェイ・ミュージカル”Best Foot Forward”、そして”The Pajama Game”の公演ツアーへも参加。1964年には、ファースト・アルバム”Liza! Liza!”を発表し50万枚のヒットを記録している。その同年の11月に、母親のジュディ・ガーランドと共にロンドン・パラディウムへも訪れている。アメリカでは、功績を収め名実ともにトップ・アーティストとしての道を進んでゆくが、イギリスでは、まだ彼女の才能は認められていなかったため、自らの歌唱力をもって、ヨーロッパ全土でもその名声を獲得、'The Travellin' Life'、 'The Gypsy In My Soul'、 'stealing' などが大ヒットを記録した。
ブロードウェイ・デビューは、1965年、ジョン・カンダーの傑作として歴史上名を残している”Flora, The Red Menace ”。僅か87回の公演しかしなかったにも関わらず、この作品でライザはトニー賞を受賞している。またその翌年の1966年には、Plaza Hotelでニューヨークキャバレー・デビューをし、1967年にオーストラリアの歌手/ソングライター(ピーター・アレン)と結婚。
2年間のインターバルから仕事復帰した第一作目にあたる”キャバレー”で彼女はスーパースターの座を獲得、オスカーを受賞する。また”フォッシー”同様、ボブ・フォッシーが監督したTV番組”Liza With A 'Z'”でもエミー賞も受賞している。そして一流アーティストしか使うことのできないパリのオリンピア劇場にてコンサートを開催し、その歌声は『アメリカのエディット・ピアフ』とまで賞賛されフランス全土にその歌声が響いた。
1973年、プロデューサー兼監督のジャック・ハーレーとの出逢いをきっかけに、あの大物スターしか出演できない”ザッツ・エンタテイメント”への出演を見事に果たす。74年にはハーレーと再婚、その後も芸能活動に励み、映画”Lucky Lady ”、”A Matter Of Time ”、”New York, New York”、”Arthur”など映画を中心に出演している。