Lee Ritenour

Lee Ritenour (リー・リトナー) プロフィール

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Lee Ritenour

 1952年カリフォルニア州ハリウッドで生まれたリー・リトナーは6歳でギターをはじめ、当時全盛期を迎えていたウエス・モンゴメリーに影響を受け次第にギターの腕を挙げていった。

 高校在学中にすでにセミプロとして活躍、南カリフォルニア大学入学後、セルジオ・メンデスを通じてデイブ・グルーシンと知り合い、当時、映画音楽やサウンドトラックに腕を振るっていたグルーシンの推薦もあって、1970年代前半、20歳そこそこで売れっ子スタジオミュージシャンとして頭角を現していった。

 1970年代半ばに自己のグループ、“ジェントル・ソウツ”を結成、1976年、待望の初リーダー作品 First Course をエピック・レコードから発売する。 リトナーは、当時、次第に勢力を増していた“クロスオーヴァー・サウンド”を地で行く、ジャズの要素にロックやソウルのフィーリングをプラスした新しいサウンドで人気を博した。
 この作品はいままでの“クロスオーヴァー・サウンド”に新風を吹き込む新鮮な息吹に満ちており、当時、フュージョン全盛期に向かいつつあった日本でも人気は爆発し、特にギタリスト予備軍、さらにスタジオワークをするミュージシャン達に大きな影響を与えた。

 さらに翌1977年、リトナーの評価を決定付けた初期の代表作、 Captain Fingers を発表。ギタリスト、サウンドクリエイター、さらに、コンセプターとして、ユニークな地位を確立した。

 一方、西海岸生まれのリトナーにとって、ウエスとともにもう一つ彼の音楽歴にとって忘れられない要素、“ブラジル・フレイヴァー”を実現した名盤、RIO が1979年発売され、その後のギターシンセの使用を含めた、ジャズからの飛躍を企図した彼の活動が本格化した。
 当時、日本でも同じようなコンセプトで作品を作っていた渡辺貞夫とのコラボレイションはデイブ・グルーシンを介して実現、来日も重なってリトナーは日本でも人気ギタリストとなった。

 やがて、それまでの音楽生活に一つの区切りをつけたリトナーは、1992年、敬愛するウエス・モンゴメリーの遺産を継承する作品、 Wes Bound を発表、ウエス畢生の名演曲“フォー・オン・シックス”では、ウエスの遺産を超えた新しいアプローチでギター音楽の再生を宣言している。

 Wes bound と相前後して、1991年、リトナーは90年代最大のスーパーグループ、Fourplayの結成に参加。ボブ・ジェームス、ナーサン・イースト、ハーヴェイ・メイソンという、全員が“ぴん”でいけるミュージシャンを集めたこのグループは、フュージョン時代最高の音楽的地平を表出した。

 1994年には、意表をついて、ラリー・カールトンとの共作、 Larry & Lee を発表、ハーヴェイ・メイソン、グレッグ・フリゲインズら達者どころが参加したこの作品が、やがて、Fourplay でのギターリストの座をカールトンに渡すことへと繋がっていったのかもしれない。

 1996年、後任をかつてのライバル、ラリー・カールトンに譲ったリトナーは、「IEレーベル」を設立、アントニオ・カルロス・ジョビンに捧げた作品、Twist Of Jobim を発表、デイブ・グルーシンの参加も得たこの作品は、新生リー・リトナーの出発を告げた作品となった。

 また、一方でグルーシンと共同でクラシック作品に挑戦した Two Worlds を発表したり、日本の女性ジャズヴァイリニスト、寺井尚子の作品、Princess T をプロデュース、来日公演で健在振りを見せ付けた。

 ウエスを出発点としながらも、多くのスタジオワークを経て確立した音楽性を押し進めたリー・リトナーは、70年代以降現われたギタリストの中でも個性的な「スタイリスト」として忘れられない存在だ。

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