Korn (コーン) プロフィール

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Korn

極限にまでダウン・チューニングされた2本の7弦ギターと5弦ベースが奏でる重低音、硬質なリズム、そして情念のこもったエモーティヴなヴォーカル...それはあらゆる意味で衝撃であり、奇妙でいびつなサウンドだった。

コーンの結成は南カリフォルニアの田舎町、ベイカーズ・フィールドの学生時代の級友などからなる5人組という事にされてはいるが、実際には80年代半ばにフィールディー(b)とブライアン“ヘッド”ウェルチ(g)、ジェイムス“マンキー”シェイファー(g)、デイヴィッド・シルヴェリア(ds)が結成していたラグ・タイムというヘヴィ・メタル・バンドにまで話は遡る。音源などのリリースがあったかどうかは不明であるが、当時の写真(ネットで探してみれば見つかるはず。正直キツイかも)を見ると、モトリー・クルードッケンといったLAメタル・バンドに影響を受けたヘヴィ・メタルを演奏していたと察する事ができる。

80年代も終わりに差し掛かると、フィールディー、デイヴィッド、マンキーの3人は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズフェイス・ノー・モアの影響下にあるミクスチャー・バンド、L.A.P.D.を結成(コーンのブレイク後、L.A.P.D.のCDが再発されたりもしたが、そこで聴けるのはコーンの音楽性とはほど遠い、能天気で無個性なミクスチャー・サウンドであるので、熱心なファンのみチェックすればよい無用の長物だ)。アルバムのリリース後にツアー用のメンバーとしてラグ・タイム時代からの付き合いのヘッドが加入するが、L.A.P.D.はヴォーカリストの脱退に伴い解散。4人はクリープというバンドで再始動する。しばらくヴォーカリスト不在での活動が続いたが、Sexartというバンドで活動していたジョナサン・デイヴィス(vo)に一目惚れしたマンキーとヘッドがジョナサンを引き抜く形でバンドに加入させた。こうして現在のラインナップが揃い、コーンが誕生したのであった。

コーンにはインディー時代というものがなく、最初のリリースがいきなりメジャーのエピック(実際には傘下レーベルのイモータル)からである。それは同時にバンドのポテンシャルの高さを証明するエピソードでもある。94年にリリースしたデビュー・アルバム『Korn』をリリース。その後すぐにウータン・クランハウス・オブ・ペインバイオハザード311らと約18ヶ月にも及ぶ欧米ツアーを行う。その効果もあってか、ほとんどノン・プロモーションであったにも関わらずデビュー・アルバムはアメリカだけで70万枚を越すヒットを記録した。

ツアーの連続で休む間もなかったコーンだが、早くも2ndアルバムの制作に突入。そして4ヶ月間という短期間で完成したのが2ndアルバムの『ライフ・イズ・ピーチィー』である。全米初登場3位を記録し、すぐに100万枚を突破。見事ビッグ・アーティストの仲間入りを果たした。この頃にはコーンの人気も日本に飛び火し、来日公演も決定したが、無念の中止…。97年には人気コミックを映画化した『スポーン』のサウンドトラックにダスト・ブラザーズとの共作“Kick The P.A.”を提供、またジョナサンがセパルトゥラの傑作『ルーツ』にゲストで参加し、ヘヴィ・メタル・ファンにもその圧倒的な存在感をアピールした。また同年オルタナティヴ界の重鎮、ジェインズ・アディクションポルノ・フォー・パイロスペリー・ファレルが主催する音楽フェスティバル「ロラパルーザ」参加中、ギタリストのマンキィがウィルス脳膜炎にかかるというトラブルに襲われ、バンドはしばらくの活動停止を余儀なくされた。

98年には初の来日公演を行う。しかもロケーションはフジロック・フェスティバルという大舞台!コーンを一目見るために会場に足を運んだファンも多い事だろう。噂に恥じない狂乱のステージを披露した。そして待望の3rdアルバム『フォロウ・ザ・リーダー』をリリース。大方の予想通り、全米初登場1位を記録した(このアルバムがリリースされたばかりのとき、店頭でガングロのギャルが試聴をしている光景はコーンのサウンドと同じくらいにいびつだった)。そしてコーンは自らがヘッドライナーを勤める大型フェスティバル「ファミリー・ヴァリューズ・ツアー」を開催。リンプ・ビズキットインキュバスといった弟分や、アイス・キューブといったヒップホップ・アーティストを引き連れた夢のようなツアーを約2ヶ月に渡って展開した。

99年2月には待望の単独来日公演をZEPP大阪、東京ベイNKホールにて行った。その後も「ROCK IS DEADツアー」、「ウッドストック」の30周年記念コンサートにメイン・アクトとして出演するなどライヴの鬼ぶりを見せつけた。同年11月には、4thアルバム『イシューズ』をリリース。セリーヌ・ディオンウィル・スミスらの大御所を抑えて2度目の全米1位を記録した。数種類存在するアルバム・ジャケットのアートワークも話題となった。課外活動としては元トライブ・コールド・クエストQ-Tip初のソロ・アルバム『Amplified』にジョナサンがゲストで参加。どうでもいい事ではあるが、Q-Tipの本名はなんとジョナサンと同じ「ジョナサン・デイヴィス」である(へぇ〜)。2000年は、フェスティヴァル含むヨーロッパ・ツアー、そしてメタリカキッド・ロックらと全米スタジアム・ツアーを行う。ツアー中、ドラマーのデイヴィッドが手首を負傷し、元フェイス・ノー・モアのマイク・ボーディンが代役を果たす。

ここまでアルバム・リリース後のほとんどの時間をツアーに費やしてきたコーンだが、2001年はそれぞれの活動に勤しむことになる。2002年にはフィールディーが、コーンのメンバーによる初めてのソロ作品『ロックン・ロール・ギャングスター』をフィールディーズ・ドリームズ名義でリリース。またバンド活動が再開されたのもこの年で、ブラジル、コロンビア、メキシコなど、バンド初のラテン・アメリカ・ツアーを行う。サポート・アクトはリンキン・パーク。メキシコ・シティでは6万5千人のファンを動員した。5thアルバムとなる 『アンタッチャブル』のリリース直前にミキシング前の音源がインターネットで流出。全世界で1億1千万違法ダウンロードを記録したとされている。それでもアルバムは初登場で2位を記録している。

そして2003年、前作から1年半という短いタームで6thアルバム『テイク・ア・ルック・イン・ザ・ミラー』をリリースした。初のセルフ・プロデュースとなる意欲作品である。2004年1月末にはサマー・ソニックの冬ヴァージョン、「ソニック・マニア04」のメイン・アクトとして5年ぶりの来日が決定している。

コーンのサウンドの魅力はその重低音とフリーキーな不協和音が絡み合う唯一無二のサウンドと、類を見ないジョンサンのヴォーカル・スタイルである。サウンド面でコーンを模写したバンドなど、挙げ始めたら枚挙に暇がないだろう。もっともコーンほどの高みに達しているフォロワーなど見当たるはずもないが。 絶叫、咆哮、嗚咽etc...ジョナサンのヴォーカリゼーションは、独創的なサウンドに負けず劣らず圧倒的でありコーンの個性を際立たせている。

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