Ken Ishiiのキャリアがはじまりは、‘93年、学生時代に制作したデモテープがベルギーのテクノレーベルR&Sから即、採用された時からであった。リリースされた「Garden On The Palm」は、イギリスの音楽誌『NME』のテクノチャートでNo.1を獲得し、「日本のテクノ・ゴッド」としてKen Ishiiの名を世界に知らしめた。同時期にオランダのレーベルESPやカナダの+8からも別名義でシングルをリリースする。オランダのレイヴ「ヘルレイザー」にも招待され、2万人の前で彼のキャリアにとって“初”のライヴを行ない、‘95年には、ドイツの世界一のテクノ・フェスティバル「LOVEPARADE」のオフィシャル・イベントでもライヴを披露し高い評価を得た。初期作品のベスト盤ともよべる「Innerelements」(R&S / SONY)で当時の彼の作風が堪能できる。
<第2期 そして、日本を代表する世界のテクノ・アーティストへ>1995-2001
その後R&S(日本盤はソニー・ミュージックエンタテインメント)からアルバム「Jelly Tones」(R&S/SONY)をリリースし、それまでの作風から変化し、ダンスフロアを意識した作品となり、ヨーロッパのみならず日本でもヒットを記録する。’96年には「Jelly Tones」からのシングル"Extra"のビデオクリップ(映画「AKIRA」の作画監督/森本晃司監督作品)が見事、イギリスの “MTV DANCE VIDEO OF THE YEAR” を受賞。同じ年、富士山裾野で行われた日本初の大規模野外レイヴ「RAINBOW2000」のメインステージでもUnderworldとともにメインアクトを務め、約2万人のファンを熱狂させた。さらに20カ国を超えるヨーロッパツアーを行い、’97年にはシングル"Echo Exit"がコカ・コーラ春のテーマ・ソングに、シングル"Drummelter"がテレビ朝日系列で放映されたカーレース「インディ500」「ル・マン」のテーマ曲に起用される。同年(97年)12月、アルバム「Metal Blue America」(SONY)をリリース。 アメリカで「Jelly Tones」がリリースされたのをきっかけに5大都市でのツアーを敢行し、ニューヨークではCMJのファイナル・イベントとしてROSELANDにて3000人の前でライヴを披露した。’98年には長野オリンピックオフィシャルオープニングテーマのインターナショナル版を作曲。世界70カ国以上でオンエアされ、話題を呼ぶ。その後アジアでもCDリリースし、各国からの熱いラブコールに応えての台湾、香港、シンガポール、フィリピンでのプロモーション・DJツアーは大成功に終わり、計1万人を越す動員を記録。 ’99年にはTalvin Singhや、DJ Spooky、Co-Fusionなど多数のクリエイターとコラボレーションする事によって新境地を切り開いたアルバム「Sleeping Madness」(R&S/SONY)をリリース。日本人として世界に通用する音作りができるパイオニア的存在として、ワールドワイドでの高い評価を得、その名を不動のものとした。 2000年に入ってからはポスト・ペットのキャラクター「MOMO」のプロデュースをしたり、織田裕二、松嶋奈々子主演の映画「WHITEOUT」のサントラとして曲が起用されたりと、さらに活動の幅は広げ、同年「FLATSPIN」(SONY / EXCEPTIONAL)をワールドワイド・リリースする。<ケンイシイのニューステージ>2002 〜
Ken Ishiiは、一度日本でのプロジェクトをリセットし、世界中からのDJオファーに応えるべく、1年の2/3を海外でDJをするような活動へと軸足を移す。その間、テクノやクラブをめぐる状況も、日本、ヨーロッパ、アジア、アメリカと各地域で微妙に変化し、そのすべてのオーディエンスの熱狂に応えていくようなスタイルに、彼自身のDJも変化してきた。その意味でまさにインターナショナルなアーティストとしてのキャリアを身をもって体験したと言えよう。その経験を基に2002年10月ニューアルバム「Future In Light」(70 Drums/Musicmine)でストレートなデトロイトテイストのテクノへと進化したダンス・ミュージックを表現している。この作品は今までのどの作品よりも、ストレートでポジティブな仕上がりとなっている。 彼は言う。「ある地域だけに属さない、世界のどこでも通用するテクノ。 ただのストレートでハードなビート集ではない、 より音楽的でアイデアが詰まっていて、しかもDJがプレイできるもの。 これが今回のアルバムのコンセプト」このアルバムは、「kenishii.com」や「Bungged-inFusion」というファッション・ブランドの運営を行っている自身のレーベル「70 Drums」からの初リリースでもあり、今後このレーベルが全てのクリエイティブをコントロールしてアルバム・リリースを行うこととなる。2002年秋、Ken Ishiiの世界を見据えた新たなステージが始動する。reference : MUSICMINE PRESS REREASE