Joe Perry (ジョー・ペリー) プロフィール

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ジョー・ペリー49歳(2002年3月現在)1952年9月10日、アメリカはマサチューセッツ州ローレンスに計理士の父、エアロビクスのインストラクターの母のもとこの世に生を授かる。

叔父の作ってくれたウクレレをきっかけに音楽にのめり込んでいった少年時代のジョー・ペリーはいつしかギターに出会う。初めて買ったレコードがヤードバーズというジョーには誕生日に買ってもらったアコースティック・ギターでは満足がいくはずもなく、自ら家の家事をすすんで手伝いそのお駄賃でどうにかエレキ・ギターを手にする事が出来たという。

ギターに明け暮れ所謂不良街道まっしぐらのジョー少年。学校にもろくすっぽ足を運ばずに遂に学校からも学処分を言い渡される。工場やアイスクリーム・パーラーで働きながらロック・スターを見ていたジョーローリング・ストーンズ狂のトム・ハムルトンとザ・ジャム・バンドなるバンドを結成する。

当時ザ・ストレンジャーズ、チェイン・リアクションといったバンドのドラム兼シンガーとして既に地元ではちょいと名の知られた存在であったスティーヴン・タイラーがジョーとトムのバンドの演奏を見てたいそう気に入り、スティーヴンからジョーとトムにバンド結成を持ちかける。そのときのスティーヴンをして「ヤツらの演奏はドヘタクソもいいところ。ホント最悪だった。でもヤツらは最高だった。俺がそれまでにやってきたどんなセックスよりもいいグルーヴがあった。」である。その後ドラマーとして、スティーヴンの悪友であったジョーイ・クレイマーが入り、2人目のギタリストとしてレイモンド・タバノが加入する。

彼らは活動拠点をボストンに移し、ベッドルームが2つしかない安アパートで5人での共同生活を始める。キャンベルのスープ缶を、1日3回に分けて飲むというような極貧生活だったが、彼らは精力的にライヴをこなしていった。明日のロック・スターを目差して。

1971年になると、そんな日々からレイモンド・タバノが脱落する。後任として迎え入れられたのが、バークリー音楽院で学び幾つかのバンドでの活動経験のあるブラッド・ウィットフォードだった。こうしてエアロスミスは誕生し、大空へ向かい大きく飛び立っていくのである。

デビューしてからのエアロスミスは正に順風満帆。人気バンドの階段を一気にかけ昇りキッスに方を並べるほどのアメリカを代表するロック・バンドにまで大きくなる。しかし1970年代後半にエアロスミスの活動には暗雲が立ち込め始めた。

スティーヴン・タイラーとジョー・ペリーの音楽的なことに関する確執やドラッグ依存によるいざこざ、制作費を湯水のように使いながらもいっこうに進まない新アルバムの制作…。そして新作レコーディングに入ったものの、作業が遅々として進まないエアロスミスをみかねたマネージメントは、彼らをツアーに出すことに決定。しかしこのツアー中にジョー・ペリーが脱退、ジョー・ペリー・プロジェクトを結成してしまう、という衝撃的な事件が起こってしまった。

1980年エアロスミスを脱退したジョー・ペリージョー・ペリー・プロジェクトを結成しファースト・アルバム、熱く語れ! - Let The Music Do The Talkingをリリース。ヴォーカリストにラルフ・ノーマンを迎えてはいるが、ジョー本人も4曲でヴォーカルをとっている。

翌81年には忘れじのロックンロール - I've Got the Rock'n'Rolls Againをリリース。ここでのヴォーカルはカーリー・ファレンにチェンジ。

83年には いつまでも熱く - Once A Rocker, Always A Rockerをリリース。自分以外のメンバーを総入れ替え、ヴォ−カルにはカウボーイ・マーチ・ベルを迎えている。実はこの作品はちょっとしたいわくつきの一枚で、メジャーからのリリースにも関わらず、制作費はジョー本人が全財産をつぎ込んで制作された。結果は惨憺たるもので結果的にジョーは破産にまで追い込まれ、妻とも離婚。最悪の状況だった。

一方のエアロスミスは元フレイムのジミー・クレスポの助けを得て制作中だったアルバム、ナイト・イン・ザ・ラッツ - Night In The Ratsを完成させ、1979年12月に発表。だがこのアルバムは内容的にもセールス的にも失敗作となるが、その後それに輪をかけてさらに悪いことは重なり、バイク事故でスティーヴン・タイラーが入院(彼が復帰するまでのつなぎとしてグレイテスト・ヒッツ - Greatest Hitsがリリースされている)、ブラッド・ウィットフォードの脱退、というバンドとしては最悪の状況を余儀なくされたのだった。

エアロスミスは前述のクレスポ、さらにリック・デュフェイというギタリスト二人を加え新生バンドとして1981年頃から活動を再開。1982年10月に久々のリリースとなるアルバム美獣乱舞 - Rock In Hard Placeを発表するが、この作品でもまた往年の人気を取り戻すには至らず、活動休止、またCBSとの契約も失ってしまうことになった。

破れてしまった翼はもう戻らないのだろうか?例えば色んな面でエアロスミスが比較されることの多いローリング・ストーンズミック・ジャガーキース・リチャーズそのどちらかでも欠けてしまったら、もうそれはストーンズとして成立しないのと同じように、エアロスミスもトキシック・ツインズ(ジョーとスティ−ヴンの2人を指す言葉)あってこそのエアロスミスなのだ.。無論そのことを一番分かっていたのはジョーとスティーヴンの2人であっただろう。

落ちる所まで落ちたジョーとスティーヴンはいつしか和解。ジョー復帰後のエアロスミスの活躍については周知の通りである。ジョーに至っては昔よりも若返った感すらある。あの隆々とした筋肉はとても50歳を目前に控えた男のものとは思えないほど!

名ギタリストと呼ばれる者には大きく分けて2つのタイプが存在するのではないだろうか。まずはテクニック重視した技巧派タイプ。もう一つはその人にしか出せないフィーリングやノリを重視したタイプ。(そのどちらも持ち合わせた者もいるから正確には3つか?)ジョー・ペリーはどちらかといえば後者に当たると言える。オーソドックスなブルースから影響を受けたと思しき典型的なロック・ギタリスト。例えば“お説教”( ウォーク・ディス・ウェイ)での誰が聴いても絶対1度で覚えてしまうようなリフを造る才能にも長けてはいるが、ジョー・ペリーが一番ジョー・ペリーとして機能し光り輝くのはエアロスミスのギタリストとしてスティーヴン・タイラーの横でギターを弾くときである(その逆もまたしかり)。そしてその瞬間の格好よさといったら、この世に現存するギタリストの中でも一番だといっても過言ではない。

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